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【岐阜県中津川市】島崎藤村の馬籠宿 22.08.07_10:50

 みんな薄々気づいては居たけれど、木曽路はずべ手山の中だと印象づけた張本人、島崎藤村は馬籠の人だ。

 島崎家自体は鎌倉殿の13人でも登場する三浦一族の流れだ。
 信濃の木曽氏に従えて木曽に入り馬籠を開拓したのだそう。

 なのでというか、島崎家もお金持ちで、馬籠で本陣で庄屋で問屋を商していた旧家だ。

 今残る島崎藤村資料館も彼が暮らした本陣を改造して作ったもの。

 島崎藤村の世代の家系にも、藤村以外に画家など芸術家が多いらしいが、結局お金持ちだからできた話。庶民は日々の暮らしで手一杯な時代のころだ。


 そんな藤村の記念館が馬籠にある。

 生家自体は明治の大火で消失してしまったそうだが、地元住民の勤労奉仕で再建されたのが記念館。
 今は文化庁の記念遺産に認定されている。

 馬籠は木曽南端の山間の宿場町。
 文学少年はどういう思い出で生活をしていたのだろう?複雑な家庭であったらしいし。
 藤村自体は小学校のまだ幼い時期に勉強のため東京に出てしまったそうだ。将来、明治学院大学の第一期になる。


 街道沿いの記念館の裏手、一段下がったところに島崎家の菩提寺である永昌寺がある。

 藤村自体は大磯の自宅でなくなり地福寺に埋葬されたそうだが、分骨されて永福寺にも墓がある。

 名主の菩提寺だけあり山中の寺にしては立派だ。

 島崎家の菩提寺なので、夜明け前の主人公でもある青山半蔵のモデル藤村の父、島崎正樹の墓も。

 後に木曽福島の記念館で藤村の血縁に当たる方に話を聞いたときに、藤村は家のことを何でも書いてしまうので少し迷惑だったみたいな話をされていた。
 SNSもない時代だから、多分そのとおりだろう。

 
 街道の宿場の名主が明治に入り鉄道によりその役目を終えたとき、取り残されていく生家に、寂しくも窮屈な思いを綴った記録。

 彼の小説を改めて読み直してみたくなった。

 そんな思いになる馬籠の旅でした。



 

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