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ラー博卒業へ1ヶ月を切り加速する支那そばやへの思い 19.11.14 17:39

ラー博支那そばや。お気に入りだった塩ラーメンが終売になって、卒業まで1ヶ月を切り店では卒業ラーメンの提供始まっている。
そんな中、今日は久しぶりに創業の味、醤油らぁ麺を実食にやってきた。

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支那そばやに初めて遭遇したのは鵠沼で店を出していた頃。地元茅ヶ崎からは目と鼻の先のようなところだったが、交通の便はすこぶる悪く、最寄りの藤沢駅や辻堂駅からでは到底歩くことは不可能で、それでもその旨さが口コミで広がって平日でも長い行列ができていたものだ。ラーメン屋に行列ができることがまだ珍しかった頃、インターネットもない時代、テレビと雑誌の影響力は偉大だったなぁ。

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当然店主の佐野実は在銘で、というか、若くて油の乗り切っていた頃。まだラーメンの取材以外でテレビに出ることもなく、何しろ偏屈ですぐ怒ることはとかく有名で、携帯が鳴ったとか、化粧の匂いがするとかで客だろうななんだろうがお構いなしに店から出されていた気がする。真剣勝負だったんだろう。
それもラーメンが旨いから許された話で、その旨いラーメンというのがこの醤油味だった。(当時は醤油しかなかった気がするのだが、確認のしようがない)

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あっさりとしているのにこってりな感じは当時としては初体験の味で、食べ終わった後唇にいつまでも残る油の感じが忘れられない。
今も、支那そばやのらぁ麺の唇に残る醤油の感じは当時のまま。これはこれで旨いんだけれども、個人的に味の好みがよりあっさりの塩に移ってしまったためしばらくぶりの支那そばやの醤油ラーメン実食となってしまった。しかも卒業間近にして。

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若い頃の思い出を麺とともに手繰る。
懐かしさとともに今までの人生がこみ上げてくる。
大した人生じゃないけれども、支那そばや、佐野実にラーメンの味を叩き込まれたのは事実。それ以外のラーメンってデパートの衝動だとか国道のチェーン店くるま屋のとりあえずコーン入れとけみたいなラーメンばかりだった。支那そばやのラーメンの味を若くして知れたって、これはこれで財産だ。

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支那そばやの卒業同様、多分だいぶ残り少なくなってきたと思う自分に残された日々。うまいラーメンとともにいい人生だったなぁと死ぬとき思うだろうか?その後は、地獄の釜で作った食材の鬼のラーメンがまた食べられるのを楽しみにして残りの人生を暮らすとしますか。

支那そばや、ラー博卒業まで1ヶ月を切っている。
卒業されたら戸塚の本店とはいえ、会社帰りに気軽に食べられるものではなくなる。
新しい好みのラーメン屋もなくはないが、これから支那そばやが食べづらくなるのは寂しいなぁ。






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