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腹囲が気になる福井の旅 北前船で栄えた 三国湊町歩き 19.11.24 14:00

東尋坊のたもとに越前一の大河、九頭竜川が流れ込んでいる。
九頭竜川の流域面積は福井県の面積の70%を超えそれはすなわち、松平越前福井藩32万石の大動脈でもある。
その河口に三国町という町があり、北前船の寄港地として当時はだいぶ賑わったそうだ。
2006年に丸岡町、春江町、坂井町と合併して坂井市と成っていて、今では三国湊町として福井随一の観光地である東尋坊とセットで観光名所に成っている。

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廻船が輸送の大動脈だった時代。
日本海側を回って、大阪へ、江戸へと物資を輸送した北前船は寄港地が決められていて、その港は随分と栄えたそう。
江戸時代、日本海側には外様の藩がひしめいていたため、徳川譜代の藩の港は特に賑わいが盛んで、ましてや福井は親藩にして32万石の大藩。否が応でも賑わうわけです。

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九頭竜川河口に栄えた港町には花街ができ、江戸、京都から旅人が絶えず、その栄え方は尋常でなかったそう。
そんな三国の町も明治時代になると親藩であったことが仇になり、海運業から鉄道へと物資輸送が移り変わると、福井から小松、金沢へと向かう北陸本線は遥か彼方を通過して、日に日に寂れていったそうだ。

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町の豪商が時代の移り変わりを読み違えて防波堤事業に没頭して没落していったりと、日本海側の開運の町は見る影を失う。
失った影が今も雰囲気として見て取れる。
というか、当時から進歩がないのが痛いところ。

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個人商の銀行があったりと、見どころは満載なのだけれども、街の自慢がソフトクリームとなるとちょっと悲しい。
やっぱり時代についていけていないところが福井らしい。ソフトクリームはめちゃ美味しかったけれども。

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古い町並みが今も残るって住んでいる人たちにしたら決して自慢できることではないが観光客には物珍しい。
海運で栄えた町の残り香を感じながらのちょっと塩っぱい街散策。
少し物悲しいところも地方観光の見どではあるけれども。

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