[自粛六尺] ソーシャルディスタンスと公園の遊具と次のコロナ禍
コロナ禍のせいで公園のベンチもそうなのだけれども、このころ遊具もやはり誰も使う人がいない。
ソーシャルディスタンス。間抜けな単語。誰が考えたのか知らないけれども酷い話だ。
新型コロナは子どもたちの楽しみまで取り上げてしまって。
いつまでこんなことが続くのだろう。
Withコロナ・・・口でいうほど簡単なことじゃない。
何しろ今までの価値観を、少なくても人間関係に感しては全否定するわけだ。
食事は正面に座らずに、人との間隔は2m以上あけて・・・そんな社会楽しいだろうか?
でも、そうしないと人類の危機・・・ホントだろうか。
これじゃ若者は彼女も出来まい・・・それこそ人類の危機だ。
でも、公園に遊具を作ったこと自体大人のエゴなのかもしれない。
子どもたちはこんなものあろうがなかろうが、その時その場できっと楽しく遊ぶだろう。
でも、無いより有ったほうが・・・って、そういうことを不要というのか。
大人の商売のため・・・ってことは言わないことに。
Withコロナ・・・の世界って、なんだかオヤジの頭では許容できる範囲を超えている。
世の中がどんどん理解できないものになっていっている。
外出自粛が解除されて、リモートワークが終わったとき、社会不適合者が増えるような気がしてならない。
そして、どんどん引きこもりになっていく。
ただ、コロナ禍の次に来る第二波、第三派。新たなコロナ禍が次々と非協力で強力なものになっていった時、そんな中を生き抜くのは引きこもりだけな気がする。
ソーシャルディスタンス社会って、純粋な社会不適合者こそ最強なのかも知れない。