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小田原市、曽我兄弟の墓参り 城前寺参拝 21.02.11 14:30


曽我兄弟の仇討ちといっても、今はなかなか知る人ぞ知るみたいな話かな?
そこが通じないと墓参りと言っても響かないだろうが。

曽我兄弟の仇討は日本三大仇討ちと言われているけれども、最近は時代劇とかテレビでやらない時代になってしまった。
忠臣蔵すら怪しいのに、鍵屋の辻とか曽我兄弟とか何のことやらだろうな。
来年の大河ドラマは鎌倉殿の13人。触れるかな?怪しいかな?
三大仇討ちはどの仇討も本懐こそなっているけれども最後は悲しいところが日本人にはいい話だと思うのだが。
現代はアメリカ的に法廷闘争の時代。仇討の時代じゃないけれども。


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曽我兄弟は兄が十郎、弟が五郎という数の数え方おかしくない?みたいなところがあるのが不思議。
元服後の名前なのだが?鎌倉時代に・・・。



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城前寺の本堂の裏手には曽我十郎・五郎兄弟、養父曽我太郎祐信、実母満江御前の墓と伝わる4基の五輪塔が建っている。
周囲はきちんと整備されていて、地元では崇め奉られているんだなぁと安心したりする。


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兄弟の仇の工藤祐経の鎌倉材木座屋敷跡には實相寺という立派なお寺が建っている。
祐経の娘の子で日蓮の弟子であった日照が屋敷跡に寺を建てたのが始まりらしいのだけれども、なんとなく、納得がいかない。同じ仇でも吉良殿の一族は結局息子は諏訪に幽閉の後に無くなっているから良いけれども、討たれた後の屋敷跡、鎌倉に立派なお寺を建てましたでは、仇討の後日談らしくない。
だから、今ひとつ現代の人に響かないのだろうか?


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世を忍んで苦労をして仇討ちを達成するのは大変だからなあぁ。
法に訴えようって考えも、なんだかんだ言って行政や司法がそこそこちゃんとしているからこその話なんだよね。
民主主義バンザイ。を、こんなところで思っても・・・。


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とりあえず、わりといい時代に生まれてよかった。





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