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特別支援学校での学校生活

私の娘には知的障害を伴う自閉症があり、特別支援学校に通っています。
特別支援学校とは、文部科学省のHPによると、「障害のある幼児児童生徒に対して、幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施すとともに、障害による学習上又は生活上の困難を克服し自立を図るために必要な知識技能を授けること目的とする学校」だそうです。

文科省資料によると、2022年度で特別支援学校に通う児童数は全体の0.9%にあたる8.2万人とのことです。
児童数は10年前の1.2倍になっており、今も増加傾向にあるようですが、それでも100人に1人にも満たない数ではあります。

自分の子どもが通うまで、特別支援学校についてほぼ何も知りませんでしたが、結論から言うと、今の子どもの学校生活には非常に満足しています
子どもの進学先が支援学校に決定したときは、正直あまりうれしい気持ちにはなれませんでしたが、通ってみて特別支援学校は教育が目指す理想形に近い在り方ではないかと感じています。

今日は、私の子どもが通う特別支援学校について書きたいと思います。


特別支援学校は超!少人数学級

ようやく小学校で35人学級が実現した、みたいな話が数年前に出ていましたね。

娘の特別支援学校では、1クラスあたり6~7人の児童数でなんと担任の先生は1クラスに1人ではなく、2~3人います。おおむね児童3人に先生1人くらいの割合です。

付属の中等部(普通学校の中学校にあたる)、高等部(高校に当たる)でも、1クラスあたり生徒数8人~9人で担任は1クラスに2人以上いるので、児童生徒:教員の比率は学生生活を通じてあまり変わりません
(教員の配置は教育委員会が決めているようなので、地域によって異なる可能性もあります)

学年全体が集まる行事でも、普通学級の1クラスにも満たない人数です。
なので、運動会でよい席をゲットするために朝早くから並ぶ必要は皆無です(ちなみに、今年の運動会は45分で終わりましたw)

ランドセルは不要

小学校と言えばランドセル、最近では「ラン活」などという言葉もあるようですが、特別支援学校ではランドセル不要です。
別に使ってもいいのですが、かさばる持ち物が多いためランドセルでは入らないと思います。
娘は大人用30Lのリュックサックを使っていますが、それでもパンパンなのでもう一回り大きくてもよかったかなと思っています。

教科書が一律配布されない

そして、何よりも驚いたのが、、、支援学校だと教科書が配られないんです。
支援学校では、学年ごとの教科書はなく、おそらく教科書予算を使って先生が絵本などを購入されていました。
一年生の時は、「やさい」「あっちゃんあがつく」などの絵本6冊を、学年の終わりにドサッと渡されました(1年間学校で保管して教材として使っていたようです)。

ただ、娘は割と勉強が性に合っていたようなので、次の学年では1年生の国語と算数の教科書を購入し、基礎からもう一度やりなおしてくださるとのことでした。

学習カリキュラムはほぼカスタマイズ

支援学校では、教科書の配布もなく、そして学校から配布された持ち物リストに筆記用具が入っていませんでした。
・・・じゃあ何も勉強しないのか?というわけではなく、子ども一人一人の発達に応じたカリキュラムを担任の先生が考えてくださります。

子どもの学校では、毎朝「自習」という時間があり、そこで一人一人違う課題に取り組んでいるようです。

私の子どもは、ひらがな、カタカナ、簡単な漢字を学んでいます。ただ、通常の学年のペースよりは遅いと思います。
しかし、娘は割と数字に強いようで、算数は通常の普通学校よりも早いペースで学習を進めているようです。
支援学校=普通学校よりも勉強のペースは遅い、というわけは必ずしもなく、子どもの発達や特性に応じて学習ペースをカスタマイズしているようです。

自習以外は、基本的にクラスの子どもたちと同じ授業を受けますが、そこでも子ども一人一人に応じて課題を調整しています。
授業参観では、「はたらくくるま」をうたいながら、子どもたちが歌に合わせて歌に出てくる車の絵を貼っていく、という学習がありました。

「ビル~の火事には はし~ごしょうぼうしゃ~♪」というタイミングで消防車の絵を貼る感じです。

ここでも、ある程度理解が進んでいる子は単独で、難しい子は先生と一緒に選ぶ、といった配慮がありました。

正直なところ、この授業をみたときは、ただ遊んでいるだけなのかな?と思っていました。
しかし、先生によるとこの授業には、歌を聴き歌う音楽の要素、歌詞を理解する国語の要素、タイミングよく絵を黒板に貼る体育の要素、などいろいろな学習要素が考慮されているとのことでした。

特別支援学校の教育こそがスタンダードではないか

支援学校の入学時は、ランドセルはない、教科書はない、筆記用具もいらない、と今までの自分の学校の定義がダダ崩れして若干、いやかなりショックを受けました。

しかし、裏を返せば一律のカリキュラムにとらわれていない、とも言えます。
実際に、現場のプロフェッショナルである先生方が、子ども一人一人を深く観察して試行錯誤しつつ、よりよい教育カリキュラムを日々考えてくださっている印象があります。

娘は、小学校入学前はほとんど言葉を話すことはできず、また、自閉症特有のこだわりも強く癇癪もかなりありました。
しかし、今では一日中にぎやかにおしゃべりをするようになりました。
こだわりもなくなったわけではありませんが、以前よりも上手にコントロールできるようになってきたと感じています。

もちろん、だからと言って健常児のようになるわけではなく、また特別支援学校に通う子どもすべてが同じように成長するわけでもありません。

しかし、特別支援学校に通っていなかったらここまでの成長はできなかったのではないかと思っています。
一人一人が置いてきぼりにならないような個別のカリキュラムがあったからこそ、娘も自信を持って、のびのびと成長できる素地が整ったのではないかと感じています。

これはひとえに、特別支援学校が、子どもの「できた!」「楽しい!」「好き!」という気持ちをとても大切にしてくださっているおかげだと感じます。
そして、できないことについては、「たすけてください」と人に助けてもらいながら乗り切る力をつけようとしています。

特別支援学校の教育に関する考え方は、むしろ特別支援学校だけにとどめておくのはもったいないのではないか?と最近思うようになりました。
あらゆる子供たちが特別支援学校のような教育を受けられたら、一人一人が自分の好きなことや得意なことを見つけて幸せな人生の基盤を作り、できないことは互いに助け合ったりするようになれるのではないか、と思っています。

特別支援学校については、国連から廃止勧告が出るなど、インクルーシブ教育の文脈で分離教育と批判されることもあるようですが、その精神はむしろ教育の目指すべき姿なのではないかなと思っています。
皆さんはどう思われますか?

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