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1000日チャレンジ 835日目 「シンプルな英語で話す世界史」で英語を学ぶ 64.Captain Cook and the Colonization of Australia

ゴールまで165日

★BMI:23.9

◎ジャパンタイムズ出版 (2020/5/5)刊「シンプルな英語で話す世界史」(ジェームス・M・バーダマン /松園伸 著)で世界史の復習とともに英語の学習をしていく。

64.Captain Cook and the Colonization of Australia
(要約)キャプテン・クック(ジェームズ・クック)は史上最も偉大な会場冒険家である。彼は、当時の指導的な科学者と協力することで、近代科学を活用して冒険を成功させた。彼の冒険には、画家や植物学者も同行し、そのことは植物学の発展に貢献した。彼はニュージーランド東岸、オーストラリア東海岸、ハワイの地図作成に成功した。彼は南極大陸の一部や北アメリカ大陸の北西岸、カムチャッカ半島も冒険した。彼はシドニーのボタニー湾に上陸し、イギリスによる領有を宣言する。このことが、後のオーストラリア全土の植民地化につながった。

arguably;ほぼ間違いなく、decisiveness;決断力、admire;称賛する、longitude;緯度、scurvy;壊血病、topographical;地形学的な、chart;図表にする、declare;宣言する、possession;所有権、imperialist;帝国主義者、ironically;皮肉にも

transit;測角儀(望遠鏡の中心点を基準として、望遠鏡で視準した点または方角に対する角度を計測する測量器械の一つ)
set the sense for;~に道を開く

James Cook;(1728―1779)「イギリスの海軍軍人、探検航海者。キャプテン・クックとして知られる。ヨークシャーの小作人の子に生まれる。水夫生活ののち、1755年海軍に入った。七年戦争中、カナダで敵フランス軍の面前で危険な水深測量を敢行し、上官に認められた。その後、測量術のほか、天文学、幾何学などを学び、68年学士院により金星の太陽面通過観測のための調査隊員に選ばれ、エンデバー号艦長として調査隊を率いてタヒチ島に赴き、観測を成功させた(1769)。さらにニュージーランド、オーストラリア東岸、ニューギニア南東岸などを探検し、西回りに世界を周航して、71年帰国。翌年、レゾリューション号とアドベンチャー号を率いて第2回周航に出帆、南航して南極圏に達し、当時一部に信じられていた南方の「未知の大陸」テラ・アウストラリス・インコグニタTerra Australis Incognitaが実在しないことを立証した。そのあとニュー・カレドニア、ソロモン諸島など、太平洋の多くの島を訪れ、東回りに周航して、75年帰国。76年レゾリューション号とディスカバリー号を率いて三たび出航、ニュージーランドから北上してサンドイッチ諸島(ハワイ諸島)に至り、さらに北上を続けて北アメリカ西岸からベーリング海峡の北に達した。のちサンドイッチ諸島に引き返したが、同地で住民に襲われ、79年2月14日非業の死を遂げた。彼は優れた船乗りであっただけでなく、ニュージーランドやオーストラリア東岸などの精密な地図を作成し、また長年船員の職業病とされてきた壊血病の予防に成功するなど、優れた科学者でもあった。」(日本大百科全書(ニッポニカ)より引用)

◎クックの航海自体がそもそも科学的な目的で、当時のイギリスの科学的な知見獲得への貪欲さや博物学的な好奇心の強さを表している。シドニーのあるボタニー湾(Botany Bay)は植物が豊かであることから名づけられたのだとか。牧野富太郎先生が行ったら大喜びだったことでしょう。


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