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今年もまた 〜震災は止められないけれど

午前5時すぎ、真っ暗な時間に珍しく目を覚まして眠れなくなりました。

そうか、今日はあの日だな。
そう思って寝室から出て、仕事部屋の暖房をつけ、コーヒー豆にお湯を注ぎました。
静かにコーヒーの香りが部屋に広がります。

28年前の今日、わたしは神戸市東灘区に借りていた部屋で徹夜の試験勉強をしていました。
大学の試験期間中だからと地元での成人式にも帰省せず神戸に残ったことで被災したのです。

今でもあのときの神戸の風景はセピア色の記憶しかなく、おそらく一生色を取り戻すことはないでしょう。

いつまで神戸の話をするのか、と友人に言われたことがあります。
経験してへんから分からんと思うけど、忘れたらあかんねん、と虚しい気持ちで答えました。
それから何年も経って東北で震災が起きたときに、友人はわたしがなぜ話し続けていたのかようやく理解したと言いました。

友人は、東北の震災後に震災関連死について調べていました。
たとえ震災で助かったとしても、被災後の過酷な生活により命が削られて亡くなってしまうことがあるといい、具体的な事例も教えてくれました。
調べていくうちに、わたしがなぜ震災の話を毎年するのか理解してくれたのだと思います。

震災を止めることはできないけど、なるべく多くの人に助かってほしい。わたしは、震災が理由ではなかったけれど大切な人を突然失う悲しみは知っています。
あんなに深い悲しみをほかの誰かに味わって欲しくないのです。死にゆくことと向き合う時間も受け入れる時間もないまま大切な人が去っていくのは辛すぎます。

1月17日が来るたびに、あの日、あのときのひとつひとつのシーンが浮かびます。
コーヒーも暖房も当たり前でないことを思い出し、心の中で静かに手を合わせます。

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