孤独ってなんだ
ちょっとドタバタしててnoteを書く時間がありませんでした。
今日は数日前に思ったことについて書きます。
この一年くらい、日々の買い物は近くのスーパーなどに徒歩で行っています。
カンボジアでは常に車移動だったわたしにとって、これは習慣として大きな変化です。
子どもの頃に自転車でかっ飛ばしていた近所の路地とか、すっかり寂しくなってしまった駅前の商店街とかをトボトボ歩いています。
音楽やポッドキャストを聴きながら歩くこともあり、某サブスクで音楽をシャッフルしてるときなんかはよく知らないイマドキの曲に合わせてシャキシャキ歩いてたりもします。
車の運転中に考えごとするのは危ないんですけど、徒歩だとそれもできるのがよいです。
先日も歩きながら考えていました。
なぜわたしは1人でいるときも寂しいとか孤独とか感じないんだろう、と。
むしろどんなときにそれを感じるんだろうか。
ちょっと違うかもしれないんだけど、よく分からない集まりに行かないといけなくなったときくらいしかそういうのを感じないのかも。
人がたくさんいればいるほど、そういう場所では逃げ出したくなるわたしがいます。
実際、そういう場所に行ってしまったときにはトイレにこもって解散時間を待ったこともあります。
あのときずっとLINEしてくれた友よ、ありがとう。
そんなわけで自分自身が寂しさを感じることはほぼないけど、自分の大事に思う人が1人で寂しい思いをしてないか、がんばりすぎて辛くなってないか、そういう場面を想像してしまうと胸がギュッとするんですよね。
亡くなった父や母にもそんな時間があったのではないかと考えてたら、さらにギュッとなりました。
このまま妄想を続けると歩行不能になると思って、耳元の曲を聴くことに意識を戻したのでした。
孤独についてはもっと深く思うところはあるんやけど、それはまた別の機会に。
寒空の下で歩いてるとセンチメンタルになってしまうので、早く温かい春になってほしいなと思ったけど、よく考えたらもうすぐ酷暑のカンボジアに戻るんやったわ。
こんなかたちで自分と向き合う時間をもつようになったのは帰国してからの収穫といえるのかも。
せっかくなので、この習慣を保持すべくカンボジアでも散歩しようと思ってます。
知らんけど。
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