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ぜんぶつながったおはなし

「ばーちゃんがおらんくなるはずないと思ってな。僕、何回も押し入れ開けて見ててん。」

東京で一人暮らしをしている息子の口からこんな話が飛び出したのは数年前のこと。


色々と疑問はあるがまあちょっと置いといて…。
日本生まれカンボジア育ちの彼は、トリリンガル(英語、日本語、クメール語、その他言語ちょこちょこ)。さらに日本語は標準語と関西弁のバイリンガル。わたしと話すときは関西弁60%標準語40%といったところでしょうか。

誰にも聞かれてないけどわたし自身に関して言うと、普段は関西弁、かしこまったときもイントネーションは関西なので、ここで文章を書くときもときどき関西弁まじりにしたほうが自分らしいかなとおもてます。(さっそくか)

ばーちゃんの押し入れに話を戻します。

ばーちゃんとはわたしの実母。息子にとっての祖母、当たり前やけど。

19年前に急性心不全であっけなく他界しました。まだ60歳、還暦をお祝いしてたったの半年で逝ってしまったのでした。

冒頭の息子の言葉はそのときの話で、彼は6歳になる前のことでした。

この話をしたのは世界的なコロナウィルス感染拡大の中、国際線の飛行機がまったくなくなったことによりわたしは帰国がままならず、必然的に息子とは電話での会話が増えていたときのことです。
どういう話の流れかは忘れたのですが、息子がばーちゃんについて話し始めたのです。


息子:「なんかさぁ、人が亡くなってもほんまは死んでなくて、押し入れとかから出てくるっていう話あるやん??」

わたし:「え?あ・・・、うん・・・。」(え??そうなん?? 周知事項なん??、なんそれ???)

息子:「だから、ばーちゃんがおらんくなるはずないと思ってな、僕、一日に何回も押し入れ開けて見ててん。絶対出てくると思っててん。」

……。

死んでると思ってたのにほんまは死んでなくて押し入れから出てくるて、ホラーやん。でも死んでないねんからホラーではないんか・・・。そうか、ほなドッキリか。いや、そういうことちゃうし。

混乱するわたしを置き去りにし、息子がさらにこう言いました。

「でもさ、僕5歳くらいまでしかばーちゃんと一緒にいれんかったのに、僕の中にばーちゃんという人が残ってるってすごない??」


そやねん、そやねん。めっちゃええとこに気づいたな。君はばーちゃんからいっぱい愛されてたんやで。
押入れの謎はさておき、ほくそ笑むわたし。

妊娠を告げたときの母は「えー、わたしおばあちゃんになるやん、困ったわぁ。」とか言いながらずっと笑ってて、いっこも困ってなかったんやで。娘のわたしはその横顔を今でも覚えてる。

その後、ひとしきり母が息子をかわいがったエピソードを話して電話を切った後、わたしの頭の中にもう一つ別の息子の発言が浮かび上がってきました。

それは息子が3歳くらいのときにベッドの上で突然放った言葉。

「ぜーーんぶつながってるんだよーーーー」

なんやそれと思いながら息子の方を見たら、もう寝てました。はや・・・。

いきなり何を言うねんと思いつつ、なぜか耳に残ってました。何がつながってるのか分かる日がいつか来そうな気がして、ふと思いだすフレーズになってました。

そうか、つながってるのはわたしらがお互いに好きと思い続けてる気持ちなんや。
この世に存在があってもなくても、全部つながってるねんな。そういうことか。

時を経て、その意味がつながったわ。


ばーちゃんを忘れないでいてくれてありがとう、息子。

愛情いっぱいに育ててくれてありがとう、ばーちゃん。

これからもずっと好きでおるから、わたしらはずっとつながってるんやな。

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