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【開催報告】8/6「スナックひとみvol.003」ゲスト:草野干夫さん(フラメンコダンサー/開発コンサルタント)

スナックひとみvol.003(2020年8月6日開催)のゲストはフラメンコダンサーであり、長年にわたって開発コンサルタントとして活躍をされてきた草野干夫(くさのたてお)さんでした!どこを切り取ってもドラマチックで夢中にさせてしまうコンサルタント&ダンサー人生。普通の開発コンサルタントでは考えられないフラメンコのパワーを最大限に活用したエキサイティングな物語にお客様も夢中になってくださったようでした。

1. ネパールで命がけの冒険?

今回は、長年のコンサルタント経験の中でも特にインパクトが大きいネパールとボリビアでのプロジェクトを通じた実にダイナミックな体験談をお話くださいました。

まずはネパールでの一つ目のプロジェクト。半世紀近くも前、コメ増産プロジェクトで試行錯誤をされたときはまさに想像を超えた苦労の連続だったそう。航空機事故を奇跡的にぎりぎり免れたものの、ほとんどの荷物を失って始まったネパールでの調査。ジャナカプール県での長期に渡る仕事は困難を極めましたが、持ち前のバイタリティで乗り切った草野さん。飛行機事故で荷物を失ったことから、より濃密に貧困層と関わり、彼らと同じような生活をしながら移動するような日々だったとのお話でした。

また、もう一つのお話は20年ほど前のカトマンズと地方の農業卸売市場整備プロジェクト。ネパール東部の丘陵地帯の農民は高地野菜を栽培しインドに輸出することで生計を立てていました。

マオイストの反政府ゲリラが多くいた時期でもありましたが、危険地域を避けようとするもいつの間にかマオイストの影響力がある地域に足を踏み入れてしまうこともあったそうです。その一方で、多様なネパールの貧困地帯を巡ることもでき、表面的な情報では知ることのできなかったリアルな世界をダイレクトに感じることも。そこでは、子供の人身売買など多くの問題もありました。お釈迦様の生まれた土地ルンビ二(インドとネパールの国境地帯)では、インドに売られた人身売買の被害者の女性たちが戻ってきて故郷に帰れぬまま一生を終えるという貧困の裏の側面も目の当たりにしました。

草野さんならではの、現場と生身で向き合った経験談はまさに話のタネが尽きません。

2. フラメンコが貧困層も上流階級もつなぐ〜人と文化を根幹に据えた国際協力

カトマンズの音楽大学でフラメンコを踊ったことがきっかけで、カルチャーセンターでフラメンコを教えることになった草野さん。この噂を聞きつけた上流階級の人々が集まりました。草野さんは、フラメンコを通してネパールを100年余り支配していたラナ一族とのつながりを作ることができたといいます。

日本は援助を行なっているが、調査をしてもネパールの国民に報告をしないというネガティブな見方が一部のネパール人々の間にも広がっていました。このこともあって、プロジェクトの先方政府への最終報告が終わった段階で、ホテルを借り切ってイベントをやろうということに。ギタリストがいなかったので、日本で著名なフラメンコギタリストの沖仁さんに声をかけたらなんとネパールまで来てくださったとのこと。ネパール人アーティストと一緒に作り上げる舞台!なんとエキサイティングなことでしょう。

フラメンコのルーツはネパールの南、インドの北部だと言われています。インドの伝統的なカタックダンスの舞踊団にも来てもらったという草野さん。開発コンサルタントの仕事だけでなく、ダンサー兼オーガナイザーとしてのその行動力には脱帽です。

またイベントには、政府官僚など要人だけでなく、プロジェクトでネパール全国を回り貧困農村を訪問していたので、彼らのそれぞれの代表を呼んでみようと声をかけたら、全国から一般の貧しい農民が自腹でやってきてくれたとのこと。会場に集まったのは上流階級のひとと末端のカーストの貧困層。カーストのあるネパールではこんなことはなかなかあり得ないことですが、フラメンコを通じて官僚、貧困農民、上流階級、彼らを交流させる形で実現したイベントのインパクトは本当に大きく意義深いことに違いありません。

また、この時とは別に草野さんは野外公演も実施しています。ラナ一族と同時に国王一族が主催して実施する形だったこの公演。ラナ一族を滅したのは国王一族となっていますが、両者は婚姻関係でつながっているそうです。ラナ一族の主催者と国王の娘が主催者となって実施した野外公演。ここでも草野さんのフラメンコと沖仁さんのギター、そしてネパールの一流アーティストを招いた沖仁さんとのセッションも行われました。この様子は現地の新聞にも取り上げられ大きな注目を集めました。(以下画像)

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「貧困層との接点を仕事で持ちながら、さらに政財界を動かしている層とつながり、その両方を見てやっていくとわかってくる。人と文化を根幹に据えた国際協力というのが求められているものだと実感した」と草野さん。

その後、国王一家の虐殺事件など政治的に大きな混乱を経たネパール情勢。「ODAの仕事というのは、このような複雑な政治的背景を考慮しながらプロジェクトを進めて行かなくてはならないのだということを感じた」という草野さんの言葉には、深く大切な意味が込められています。

どんな現場に行っても踊っていた草野さん。「フラメンコでは自分ひとりになれるということに気づいた。だからこそやってこれた」そんなひとつの側面も、かえって世界中のあらゆるひとたちと繋がれるひとつの大切な「文化」という言語を開発コンサルタント「戦士」として最大限に異国で活用できた理由のひとつなのかもしれません。

3. ボリビアで麻薬王と対峙〜プロジェクトサイト選びは「祭り」が基準

さて、話はボリビアへ。実は、海外のプロジェクトを実施する際、パイロットプロジェクトを選ぶの最重要事項が「祭り」なのだそう。「祭りをやっているところは組織化ができているので、技術や経済などよりもまず文化の側面で選んでいる」という草野さん。このことは、特に報告書には書かないのだとか。この視点は大変興味深く、また「文化」の視点を決して重視していない日本のODAにとっては重要な示唆を与えてくれることかもしれません。

祭りがあるところは、結果として社会や経済がうまく機能し始めているので、プロジェクトのパイロットサイトとしても適していることが多かったとのこと。フラメンコのみならず、人と文化という視点を必ず大切にする草野さんならではの仕事のやり方です。

ボリビアでのサンタクルス県農産流通システムの整備案件のお話はとても印象的でした。山岳地帯の貧困農民。サンタクルス市の中央卸売市場の整備のためのFS(フィージビリティスタディ)を実施したこの調査。現地には純粋な卸売市場がなく、サンタクルスにあったのは卸と小売の混在した市場だったので新しい卸売市場を作る仕事でした。ここでの大事件は、なんと現地の麻薬王との対峙。貧困農民のためにどうするか考えていたプロジェクトでしたが、その貧困地域出身で麻薬の売買をしていた人物だった麻薬王。新しい卸売市場の設計を行ったものの、候補地の用地を彼らが買い取ってしまうという事件がおきました。このことで、将来の無償資金協力として中央卸売市場を整備する計画でしたが、調査を行った地区は候補地から外さざるを得なくなったとのこと。

貧しい農民は大麻の売買をやって生活している人が多かったのだそうです。貧困層農民に裨益するようなプロジェクトを計画したとしても、現地には既得権益に執着するひとや複雑で一筋縄ではいかない政治的背景などが存在します。その意味でODAプロジェクトは決してシンプルではありえません。

また、そのほかにも保健医療システムの整備プロジェクトのお話をしていただきました。アマゾン地域を10ヶ月ほど巡ったストーリーはまさに映画のような冒険譚でもあります。ODAのプロジェクトには、報告書に出てこないようなドラマチックな背景があるものですね。

ここでは、アマゾンの奥地の村々で見つけたヨーロッパのカリタスというキリスト教の団体が重要なパートナーとなりました。小さくてボロボロな船でジャングルの中の医療サービスを行っている彼らと連携する形で、ODAのパイロットプロジェクトとして実施。全部で4つの保健システムプロジェクトを行うことになりました。(都市の病院、都市の貧困地帯、遠隔地の麻薬撲滅地域、船でアクセスするジャングル地域)

ここでも、都市の貧困地帯と遠隔地の貧困地帯を選んだ理由はお祭りだったとのこと。川の濁流を三つも四つも通り抜けていく遠隔地帯など全部で10箇所ほど回ったということでした。

最初に現地に入るときは、すぐに帰ってしまうのではないかと警戒されていて現地の人々に受け入れられませんでしたが、何度かいくうちに受け入れられるようになると彼らの社会がよく見えてきたそうです。その後、無事にODAの無償資金協力プロジェクトにつなげることができました。ここまでの物語は、実に壮大でした。

4. ボリビアでのフラメンコと壮大なステージ~世界へつながる文化

さて、ここでも草野さんのフラメンコです。サンタクルスにフラメンコを教えている教室があり、スタジオを借りて練習をしていた草野さん。なんと、再びギタリスト沖仁さんもボリビアにやってきて、フラメンコのイベントを実施されています。その時の公演の様子が現地の新聞に掲載されました。

サンタクルスで、沖仁さんと川上ミネさんピアニストの二人を招聘して開催された何とも贅沢極まりないステージ!さらに、アマゾンのウルビチャという村では、400年前にヨーロッパから持ち込まれたバロック音楽のオーケストラが続けられていそうですが、そのウルビチャ村のグループも出演をしてくれたとのこと!(ウルビチャ村については「世界ふしぎ発見!」にも取り上げられているようです)

ウルビチャのグループは、その後国際化して活躍の場を広げ、存在感を増すようになってきたとのこと。大統領の夫人が国際的に広げていきたいと考えていた。

5. 民間との真のパートナーシップ~ODAの限界を見据えながら「人と文化」を要に

約半世紀にわたり開発コンサルタントとして世界中で活躍してきた草野さん。SDGsでもパートナーシップが注目され日本のODAでも多くの取り組みがなされている中、今のODAについて貴重なお言葉をいただきました。

「ODAに対する限界を見ながらNGOなり民間と連携しながら行動していくことが大切。ODAは政府対政府の援助なので、向こうの役人への技術移転は進むが貧困農民に入り込むことが難しい。相手国政府が政策として掲げていても本気で現地に入っていない。技術移転が行政官止まりになりがち。現場に入り込むODAを担っていくべき」

政権が交代して利権に振り回されてしまい、その影響を大きく受けてしまうODA。だからこそ、民間ベースの色んな手法を試していくことが大切とのこと。貧困層でも成功している人が多く存在するため、そのような人々と連携しながら民間発の考え方で実施することが理想というお話をいただきました。

SDGsはパートナーシップとして手を取り合うということ。その意味では文化を軸としたアプローチがとても重要。日本のODAはあまりそういうところがないというのもこれからの課題です。

パートナーシップといってもまだ日本企業が中心となっていて、現場の貧困層が主体となっているケースがあまり見られないという草野さん。そこの壁を破ることが重要とのことでした。

この後、開発コンサルタントとしての長年のご経験からたくさんのアドバイスをしてくださいました。これまでのような政府対政府のODAを超え、現地の人々やNGOや様々な人々と真の意味でのパートナーシップを築き、そこから自分なりの実証をもってまとめていき、新しい「ODA」を提案すること。

力強いアドバイスをいただいた貴重な時間となりました。

さて、余談ではありますが、実はこの「スナックひとみ」Vol.003の前に草野さんの13万字に及ぶ「裏」報告書をいただいていました。ここには、到底一時間余りではお話できない半世紀分のストーリーが詰め込まれているのですが、その中の一節を引用します:

海外の現場に立った瞬間に感じ取った「勘と読み」を信じ、目に見えない新たな「道」を切り拓いていくことが自分の性に合っていたのであろう。現場に生きる人々とともに、「私の開発コンサルタント理念」と「フラメンコのもつ奥深さ」を車の両輪として、暗闇を疾駆する戦いの日々が続いた。
この2つは本来混じり合うことのない別世界のものであるが、現場という舞台で、自らの無数の細胞を感じつつ、まっすぐに立って地中深くから天空まで届く内なる力を爆発させるという点では、底流に流れている原理は全く同じであった。

【告知文より】
開発現場でフラメンコを踊るスーパー開発コンサルタント。ネパールで、ボリビアで、世界各地の途上国現場で開発と文化を融合させた舞台をプロデュースする凄腕プロフェショナルの登場です!
たどり着くのも命がけなネパールの山岳地帯でフラメンコを通じたコミュニティを作り、はたまたボリビアの麻薬王と対峙してしまう映画のようにドラマチックな開発コンサルタント人生。
開発コンサルタントの情熱とフラメンコの持つ深奥な文化を胸に抱きながらの魂のこもったその仕事人生は、仕事として人として、どのようにODAと関わることができ、また世界の人々とつながることができるのかを教えてくれます。
ギターとパルマに乗せた迫力のサパテアードが、世界の大地で吹き荒れる!
開発コンサルティング企業を設立され、50年余りに渡りODAの現場で活躍されてきた草野さん。
一筋縄でいかない困難が山盛りの開発現場で、開発とフラメンコを両輪に道を切り開いてきたその熱い貴重な物語を伺います。

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