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不妊症の私が妊娠6ヶ月を迎えるまで

はじめに

不妊症の私が約3年間の妊活を経て、第一子を授かるまでの話です。
このnoteには、妊娠にまつわるセンシティブな内容が含まれていますので、特に不妊に悩む人には、傷ついたり、嫌な気持ちになったり、自分の境遇と比べて落ち込んでしまうような内容もあるかもしれません。現に私は、自分が妊娠するまで、人の妊活についての文章は一切読めませんでした。もし、心が沈みそうになったら、このnoteは閉じてください。

それでも今回の記事を書くことにしたのは、まず、自分が不妊で辛かった3年間を忘れないためです。忘れることで、誰かを傷つけてしまうような自分にはなりたくないから。そして、誰かに共感していただいたり、前向きな気持ちになれたのなら、嬉しく思います。



もともと生理が来ない体質だった

初潮が来てから今まで、生理が不規則でほとんど来ないような体質だった。中学校の頃から半年に1回くらいで、一度産婦人科で診てもらったけど、まだ不規則なだけで大丈夫だろうという見解だった。だがそのまま治らず、大学の時はピルを飲んで定期的に生理が来るようにしていた。しかし、ピルを辞めると生理が全く来なくなった。社会人になり、子宮がん検診を受けた婦人科で、生理が来ないことを相談したら、そのまま通院することになった。エコーの結果、多嚢胞性卵巣症候群(通称:POCS)が見つかり、そのせいで排卵障害があることを知った。定期的に生理が来るように投薬や注射で排卵を起こしていた。そんな持病をもっていたので、薄々自分には子どもができにくいのだろうと感じていて、現在の夫と将来を見据えた話をするときも、そのことを伝えていた。

不妊治療は結婚後すぐに始めた

通常、妊活を初めて1年以上経過しても妊娠に至らない状態を不妊症というが、私の場合は持病があったので、結婚後すぐにいつも通院している婦人科で不妊治療を開始した。原因は、排卵障害であることが分かっていたので、最初は飲み薬や、貼り薬を使って試みたが結果が出ず、毎日お尻に注射を打って排卵誘発をさせる方法も毎月のようにやったが、妊娠に至ることはなかった。仕事が終わると婦人科の受付終了時間ギリギリに滑り込み、1回1000円以上かかる注射を何度もやるのは、時間も体力も精神力も削られる日々だった。

周りのおめでたラッシュが辛い

不妊治療を本格的に開始して1年以上経ったが、全く結果が出なかった。そんな中、私よりあとに結婚した身内に子どもがすぐできたことが、自分の不妊に対してのコンプレックスを加速させた。会うたびに見せられる胎児エコー、大きくなっていくお腹、ジェンダーリビールケーキ。自分には訪れなくて、他の人はいとも容易く手に入っていく幸せ(実際は、それぞれ大変な気持ちで妊娠を迎えているのだが、当時の私はそう感じていた)が目の前で起こり、やり場のない苛立ちや焦りでいっぱいになる。「おめでとう〜」「楽しみだね〜」という言葉は言えても、顔は引きつり、相手の目を見ることができなかった。
親戚もベビーラッシュで、家に行くともれなく新生児をだっこすることになる。そのときに周りから「練習だよ!」と言われるのがとても嫌だった。自分にはその練習が報われることなんて一生ない、夫にも「練習」ばかりで「本番」をさせてあげられないことを申し訳なく思った。
当時やってたTwitterでも大学の同級生がママになっていく様子を目の当たりにした。あるとき、同級生から急にリプライで子どもの写真を送られてきたことがある。Twitterでは不妊症であることを公表していなかったので悪気はないのは分かっていたのだが、強烈な劣等感に駆られ、しばらくして自分のアカウントをログアウトしてしまった。
芸能人のおめでたニュースも耳に入れたくないし、赤ちゃんも妊婦さんも、お腹に赤ちゃんがいますチャームも見たくない。そこら辺の子犬子猫にも嫉妬してしまうくらい授かることを羨ましいと思った。

不妊治療から1年半、一旦やめることに

肥大化した不妊のコンプレックスは、毎日自分を苦しめていた。なんで周りはできて自分にはできないのか、急に夫に対して泣きじゃくることもあったし、運転中や入浴中の一人のときに涙が止まらなくなることもあった。一日でも不妊のことを考えない日はなかった。
そんなある日、夫から「今は2人で暮らすだけで楽しいし、焦ることはない。一旦やめてみたら」と提案された。私は最初は、自分の体質上、続けないことには授からないと躍起になっていたけど、毎回医者から採尿や生理のたびに告げられる「残念賞だね〜」を聞くのが辛くなっていたので、処方が切れるタイミングで、勝手に通院をやめた。
では、不妊治療をやめることで、妊娠への執着を手放せたのか。と問われると全くそうではなかった。周りからも「やめたら意外とできるものだよ」「諦めた瞬間にポンとできたりするもんだよ」と言われていたことで、かえって、「やめたときに授かる奇跡」にすがり付いていたように思う。半年ほど不妊治療をやめたが、何もしていない&成果があげられない状態で年齢を重ねることへの焦りが加速し、精神的に追い詰められた。

不妊治療を再会、婦人科を変えた

半年ほど不妊治療をやめたことで、より自分が焦るようになったので、治療を再会することにした。前に通院していたところではなく、隣町の有名な婦人科に行くことにした。新しい婦人科の先生は、まず基礎体温をつけることから指導され、前と同じように検査をして、排卵誘発剤の投薬治療から始めることにした。正直、排卵誘発剤の治療は前の婦人科でもやっていたので、卵管造影とか、精子の検査など、色々な検査をして欲しかったが、見立てが良いと評判だったのでしばらく通院することにした。基礎体温をつけることで、より自分の身体の状態がわかるようになり、エコー検査をせずとも排卵のタイミングがつかめるようになってきた。そして結果が出なくても、治療をしていることで、不妊に対して少しでも前向きに捉えられるようになっていた。
それでも、排卵のタイミングで夫婦生活をしても結果が出ず、焦りはあった。高温期がずっと続けば妊娠の可能性があるのだが、低温になると、妊娠に結びつかないことが分かるので、朝からどんよりとした気持ちになった。そして、生理が来るたびに自分はまた母親になれなかったのだ、と思わせられ、涙が出た。
結婚して2年経って周りから「子どもは?」と聞かれるのを極端に恐れたので、久しぶりに再会した友人たちには自分から「不妊治療中で〜」と明るく言うようにしていた。職場にも「不妊治療中なので通院のため、時々休みます」と伝えた。コンプレックスは完全に拭い去ることはできなかったが、不妊症の自分を受け入れ、なるべく前向きに生活するようにしていた。

妊娠が分かったときのこと

今の婦人科に通い始めて約1年。不妊治療を始めて3年、本当に不意にそのときは訪れた。
今年の3月末、高温期に入った基礎体温が、下がらなかった。そして生理予定日を過ぎても、生理が来なかった。いつもは感じない胸の張りを感じた。夫にはしばらく言えなかった。言った瞬間、生理が来て淡い期待が全部消えるのが怖かったからだ。妊娠検査薬も怖くてできなかった。もし、陰性だったら、本当に心が崩れてしまいそうだった。
生理予定日を過ぎて2週間ほど経ち、婦人科を受診して、検査をした。
結果説明で名前を呼ぶ看護師の声色で察した。「はっきりと陽性を示しています」と医師から告げられた。エコーで胎嚢を確認した。妊娠5週だった。
帰り道、運転しながら泣いた。今まで全くできなかった自分が、妊娠したことが大きかった。流産の不安もあったが、自分でも妊娠ができると分かった瞬間。4月上旬の出来事だった。

なにがよかったのだろうか

現在妊娠6ヶ月で、無事に安定期を迎えた。今のところ検診でも異常はなく、母子共に順調に成長している。自分が妊婦になったなんて、膨らんだお腹を見ても未だに信じられないような気持ちだ。
なにがよかったのだろうか、決定打となるものはわからない。ただ今年は環境の変化が大きかった。30歳になり、引っ越しをして前よりも快適な環境になった。時間に余裕ができて、毎日バスタブに入るようになり、毎朝ラジオ体操をするようになった。腹巻きをしてお腹を冷やさないようにした。いつ人工授精や体外受精を始めてもいいように節約をし、大好きなアイドルの現場に行くのをやめた。所属している劇団にも、妊活のためお休みすることを宣言していた。夫もひょんなことから疾患が見つかり、早めに治療をすることができた。大好きな祖母が亡くなり、眠る祖母に向かって「天国に着いたら、神様に子どもが授かるようにお願いしてください」とそっとお祈りした。
全部良かったのかもしれないし、全部まぐれだとも思う。ただ今は、私の授かりにくい体質をかいくぐって、宿ってくれた存在に、毎日感謝を伝える日々だ。


感謝の気持ち

ここまで私を見守ってくれた人たちに感謝を伝えたい。
親友へ、私が親戚に「練習だよ」と言われて抱っこさせられるんだよねと言ったとき「私も言われたことある。別にしたかねぇんだよな」と一喝してくれて、あんなに救われたことはなかった。ありがとう。
職場の人へ、不妊治療で同じ境遇を理解してくれて、休みも了承してくださってありがとうございました。犬猫に嫉妬するのが、私だけでなくて安心しました。ありがとうございました。
占い師さんへ、「子どもできるよ〜大丈夫」とあっけらかんと言ってくれてありがとうございました。当たりました。
祖母へ、神様にお願いしてくれて、ありがとう。
その他、両親、夫、友人、劇団のみんな、何も言わずとも見守ってくれた方々、本当に心の底から感謝申し上げます。

さいごに

ここまで振り返ってみて、不妊治療を始めてから授かるまで、本当に毎日辛い日々でした。「なんで授からないんだよ!!」と憤り号泣することもあれば、「な〜んで授からないんだろうな」とため息をつくくらいで済むこともありますが、不妊を意識してから毎日、頭の隅にはいつも不妊のことがありました。
私が悩んでいたのは3年間、治療内容はタイミング法。でも世の中には、もっと長い期間、様々な方法で時間とお金をかけて不妊治療に向き合っている人もいます。数ヶ月でも、数十年でも、不妊に悩む日々は鉛のように重くて辛い。子どもが全てじゃない、子どもは授かりものだから、と簡単に思えたら苦労はしないと思います。私は、不妊治療を経験した人の話を聞いても「でも授かったから言えるんじゃんそんなこと」と前向きに受け取れなかったりして、そんなひねくれた自分を責めてたりしていました。多分私のnoteをここまで読んだとて、「授かったから言えるんだよね」と思ってしまっても、そんな自分を責めないでほしいと思います。
毎日ポジティブ幸せ思考の私でも、不妊のことだけは前向きになれなかったし、今冷静に振り返ることができたのも、妊娠に至って不妊治療から一旦離れることができたからです。
今これを読んでいて、不妊のことについて悩んでいる方がいたとしたら、少しでも心の置きどころを見つけられるように、悩みを打ち明けられる存在に出会えますように祈っています。

大変長文になりましたが、ここまで読んでくださり、本当にありがとうございました。

最果てのおりん 拝

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