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2018年をふりかえって〜自意識を供養するnote~

Tomorrow never knowsと同い年のわたしは、あと2ヶ月足らずで25歳になる。なんだか今年は、二十歳で作り上げたもりもりの自意識が、だんたんと溶解して「地の部分」が見えてきた平成最後だった。「地の部分」というのは、わたしは生まれ持って選ばれた地球に革命を起こせるエンターテイナーではない、ただの「一般人A」であるという現実である。受け入れるのが苦しかった。怖かった。


 そんなときに、たらればさんの書いたこちらの記事を見つけた。一部を紹介する。

まだ何もしておらず、何も持っていないからこそ、何もかも見下していました。
 若い頃の自分を思い出すと、まず「戻りたくないなぁ…」という気持ちが浮かんできます。
 端的に言って、あの頃のわたしはクズでした。
 いや、より正確に言うと、若かった頃は、自分のクズさ具合やめんどくささを表出したまま周囲に受け入れてほしがる、わがままな人間でした。
 その「わがままさ」は、ほぼそのまま「いびつさ」と言えるでしょう。
 
 たいていの人は心に「いびつさ」を抱えていて、若い頃は特に、その「いびつさ」こそが「自分らしさ」だと思っていたりします。たちの悪いことにわたしの場合、だからこそ「それを曲げたり直したり隠したりしてはいけない」と思っていました。むしろ積極的に「それ」見せることが誠意だとさえおもっていた。
 けど実際には、「生まれ持って備わっている程度のいびつさ」は誰だって大なり小なり抱えているし、その程度の「いびつさ」は、とりたてて何か新しいものを生み出せるキッカケになるものでもなかった。
 あの頃のわたしはそんな簡単なことさえわかっていなかった。
 クズでわがままで、そのうえバカでした。もうしわけない。
 
 



藤原竜也みたいに奇声に濁点をつけながら椅子から転げ落ちた。わかる。
そしてこの文章を読みながらずっとわたしに取り巻いていた自意識たちをボロボロ思い出した。
 


 わたしもまた、まだ何もしておらず、何も持っていないからこそ、何もかも見下していた、そんなクズでわがままでバカだったのだよ。


 
なのでこの場を借りて、20代前半に持っていたMY自意識を供養させてほしい。

・好きなアーティストのライブでは、なぜかいつかこの舞台に立てると思っていて、自分以外のお客さんを見下していた。「お前らは見るだけで終わってんだろ?わたしは違う、いつかこの舞台に立つための勉強として聴きにきているんだ。」(バンドも結成してなければ、楽器も弾けない、曲も作っていない、何様?)
 
 
・M1グランプリに出ようと思っていた。たまたま会った京都の人と「コンビを組みたいです!でもわたし、ネタは書けません!でもM1で優勝したいんです!」って直談判した。(そのときの相方候補様。本当にごめんなさい。しかもM1ほとんど見たことなかったうえに、エンタの神様の時間帯いつも寝ててお笑い芸人知らない、笑点しか見たことない。笑神様がブチギレるよね。)
 
 
・人のSNSも心底バカにした。大学の頃下ネタをつぶやきまくって自大学で有名なツイッタラーだったんだけど、周りが『バイト行きたくない』だの『サークルのみんなに感謝!!!出逢えた全ての人に感謝!』だのの投稿をバカにしていた。バズったツイートを見るとみんな「おもしろい~」って言うじゃん?わたし違うんだよ?「悔しい~」って思うの。『こんなにおもしろいことおもいつけなかったわたし、悔しい~」って。
(Twitterの白い鳥に全身つつかれてくたばれ。)
 
 
・就職活動をバカにした。3月にみんなで揃いの黒いスーツをきてぞろぞろと会社説明会に行く連中をバカにしていた。「意味がわからない。わたしは違う、わたしはリクルートスーツすら持っていない。他とは違うから、事務作業とか向いてないし公務員とか向いてない、スーツ着て面接して社会の歯車になるなんてごめんだね」
(大学生が新卒というカードを切れる唯一のチャンスだったのに。愚か者よ~♪お前の失くした時間を探そう~♪by近藤真彦)
 
 
・無目的でNY行きたいって思ってた。面白い人間になりたい、それにはNYだって。結局貯金も無くて、英語もできなくて、びびりで行けなかったよ。当時の恋人に「プラダを着た悪魔を見てNYに行きたいって思ったんでしょ。君にはできないと思う」って図星&本音を言われて、その3ヵ月後に振られた。3年も付き合ったのにあっけなかった。
(でも今ならその恋人の気持ちが分かるね。この女狂ってやがる、潮時だって。)
 
 
その他、教育学部だったのに謎のプライドで教員免許を取らなかったこと、女として男に安売りしていたこと、アメブロで身体を張りまくっていたこと、カラオケがちょっと上手いからといって、劇団四季に入ろうとしていたこと、過去の失敗は全部芸の肥やしよと謎の理屈でぶち通そうとしていたこと。などなど。
 
 
 
死にてぇ…
 
 
毎日が深夜に思いつきで書くラブレターのように痛々しい20代前半だった。あの頃の自分、場内引き回しのうえ、獄門打ち首の刑に処したくなる。
 
 
 
そんな、わたしの自意識がだんだんと溶解していたのは初めての仕事である地域おこし協力隊になって、バカにしていた人たちに対する気持ちがリスペクトに変わると同時に、「いやわたしって、実はなんにもできないんじゃね…?」という気づきから。


新社会人になって、たくさんの「できない」にぶち当たった。地域おこし協力隊は、自分で新しい土地でゼロからイチを生み出していく要素が強い。拗れた自意識だけを持ち合わせて何も経験していなかった自分は、机の上で何も動けていなかった。途中から加わった相方のおかげで情報発信の新聞を作り、取材をし文章を書くようになった。文章も日本語としてなっていなかったりして、やっぱり何もできないと絶望していた。何もできないと思ったけれど、その唯一できるword と、相方ができるデザイン以外の仕事を少しでもできるようにした。


担当している地域は、農業が盛んなので農家さんと関わる機会も多かった。自分より年齢が半世紀近く上の農家さんたちの人生哲学や自分の仕事に誇りを持ってやっている姿に感動した。歴史の教科書に載らなくても、NYにダンス留学しなくても、国民全員がその人の名を知らなくても、いいんだと思った。

たくさんの気づきをくれた地域おこし協力隊という仕事も3年目。あと4ヶ月で任期が終わる。


少しでも過去を思い返せば何もかもを見下していた自分とセットで出てくる。ヒリヒリしてて、壊れてて、しゃかりきで、高慢ちきで、でも病んでて、劣等感まみれで身を固めていたあの頃の自分。その自分と別れたら精神的に楽になったし落ち着いたけれど、やっぱりどっか寂しくて、自分じゃないような気もしている。絶対戻りたくはないんだけどね。

でも、何者にもなれなくてもだれかにとって大切な存在になることはできるし、目の前のことをやって時間をかけていけば、どんなに小さな範囲からでもやりがいや幸せを感じることはできると思えるようになったのは大きな価値だ。


今後、もしかしたら文章書き続けて運良く執筆のお仕事がもらえたり

TVに出ることもあるかもしれなくてそういうのもきっと楽しいけれど

それを死ぬほど求めてはいない。


でもあの日の自分を否定したりしないし、今選ぶ道も、「あきらめたから選んだ道」にはしたくない。

これからもどんどん自意識が解けて本当に自分が見えてくると絶望的になると思うけれど

解けきった後はまた自分自身に変化が訪れるのを

楽しみにしながら、好きなもん食べて好きな本読んで好きな人と好きな場所で踊っていようと思う。

一般人Aでも、人生を共にする、唯一無二の存在。


たらればさんの書いた記事はこちら↓

以前も、たらればさんのツイートで、note書かせていただきました。


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