自作辞書表紙用

自分の辞書を作ろう

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 みなさんこんにちは。ぺーぱーどくたーの清水です。さて今日は、中国前近代史を研究する上で避けては通れない漢文史料、その読解能力向上のために「自分の辞書を作ろう」というお話しをします。

1.まずは市販されている辞書を買おう

 ここで言う「自分の辞書」とは、市販されている辞書ではありません。大学の漢文講読や演習あるいは講義などにおいて、先生のおこなった訓読や翻訳を書き付けたものをそう称します。

 ということは、自ずから網羅的ではなく、単発的ではあるけれども専門性の高いものが出来上がることになります。特に大学院の演習で使用されるのは専門性の高い史料ですので、そこで教授される訓読や翻訳も自然と専門的で辞書に記載されていない程度の用例になっていきます。

 附言しておきますと、市販されている辞書に載っている用例は絶対的なものではありません。最大公約数的にはこういう意味だよ、ということを示しているのだと考えてください。そのため、研究での使用に耐えるレベルで漢文史料を読もうとするなら、それを引くだけでは不十分です。そして、市販されている辞書に限界があるからこそ、自分の辞書を作らなければならないわけです。

 このような辞書の不完全さに関する話は、東北大学の東洋史研究室に所属しているころ、先輩や先生方から、漢文の怖さ(「難しさ」という表現では生やさしすぎる)をたたき込まれる過程で聞かされたものです。おそらく中国に関する研究者を育成している大学院でならば、どこでもこの手のお話しはされていることでしょう。

 しかしだからといって、「そんなら市販の辞書買わんでもいいだろ」というわけにはいきません。だって、文字や熟語の平均的な意味を知らなくていいわけじゃないですからね。とはいえ、大型の『大漢和辞典』や『漢語大詞典』はそれなりに値が張りますので、大学院生になったら購入することとして、まずは片手で持てるサイズの辞書を買いましょう。

 私が大学院に進学した20数年前は、角川の『新字源』を薦められました。この辞書の巻末にある助字解説は、結構使い勝手がよいと思います。現状、私のお勧めは三省堂の『漢字海』です。句法解説が丁寧で、用例に翻訳も付いています。宋代以降の文章を読むのであれば、この何れかに加えて愛知大学中日大辞典編纂処『中日大辞典』(大修館書店、1968年/第三版2010年)も有用です。

 受験で漢文を勉強しなかった方は、まず助字をおぼえる必要があります。前出『新字源』の助字解説や、『漢文を読むための助字小辞典』(内山書店、1996年)がお勧めです。もしこれらに物足りなさを感じた場合は、加地伸行『漢文法基礎』(増進会出版社、1984年/講談社学術文庫、2010年)を入手してください。


2.自作の辞書の作り方

 さてでは、どのように自分の辞書を作ったらよいでしょうか。

 何に書き付けてもよいのですが、普通の媒体(ノートとか)と自作辞書用の媒体は、別のものにした方がよいです。講義内容を記したノートに訓読や翻訳を書き付けると、とても見にくいです。あとでデータ化して検索できるようにするのだとしても、やはりよした方がよいように思います。

 話の順序が前後しましたが、こういった書き付けを作成する場合、単語帳・単語カード・あるいはそれ専用のノートを使用する等の古典的な方法や、ポータブルデバイスを用いた方法があると思います。しかしずぼらな私の場合、単語カードやなんかは面倒くさすぎてすぐに嫌になってしまいます。

 ポータブルデバイスを用いた録音・録画・板書の画像化については、時代もありますが、先生に許可を願うのがおっかない、許可されるわけないという理由で私は不採用としました。仮に許可されていたとしても、自分があとからそういったものを見かえしたり聞きかえしたりするとも思えませんし(と言い訳)。

 このような実体験を経て私の場合、反古紙に漢文の訓読と翻訳(場合によってはそれに関わる板書)だけを書き付ける方式に落ち着きました。

自作辞書厚さ

 わかりにくいですが、画像の紙束で大体1年分に相当します(厚さ1.5㎝くらい)。

 反古紙ならどれだけ使っても懐が痛まないため、雑に速記しても、書き損じても、修正したおしても全く問題ありません。記憶すべきことの一部を外部に委託(反古紙に書き付ける)することによって、書くことや覚えることよりも聴くことに神経を割くことができます(後述するが、私はこの点が最も重要だと考えています)。

 書き付ける内容は、先生の訓読・翻訳(とそれに関わる板書)のうち、自分が知らないもの・自分が間違えたもの・他人が間違えたものに限定します。

例:ある漢文の注釈に「若鳥之挙也」とあるのを、学部生が「わかどり」と読む。
    以下のように書き付け →  ごとし(助動詞)

 括弧内はあってもなくても。私は自分が知っている事でも書き付けていたのですが、段々と書かなくなりました。「これ、書き付けのあそこらへんにあったな」というふうに記憶できているのならば、重複して書き付ける必要はないですから。


 書き方はご自分がすらすらすらっと書ける方法を探しましょう。私の場合は、画像のように書くのが性に合っていたようです。

自作辞書表紙用

右側:日時(これで何を読んでいたのか分かる)。金5なら『続資治通鑑長編』、金2なら欧陽修か蘇轍の上奏文とか。「銀坊城/銀城坊」、「別紙」の関連史料。

中程:「劄子」を説明する史料のありかをメモ。これについては記憶済みなので簡単に。右側の「何ぞ~」は書き損じたので二度書いている。めんどうなのでいちいち修正したりしない。

左側:「以次」・「停居」・「露」や「法家」。この部分は解説されたものの簡単なメモ。


 初めの頃は色分けをしていたのですが、段々と雑になって、規則性がなくなりました。自分が飽きないように黒赤青を使い分ける感じで構わないと思います。

 このような方針で書き付けを作成したら、時系列にクリップでまとめておくなり、スキャンするなり、検索できるように用例を付けて整理したり、どうぞご自由に。自分が満足するように処置したら、自作辞書の完成です。私の場合は、クリップでまとめておいて、分からないことがある度にそれをぺらぺらめくるようにしていました。検索できるようにもしてありますが、あまり使っていません。なぜなら次に述べるような功能があるからです。


3.自作辞書の功能

 最後に、自分用の辞書を作るとこんないいことがあるよ、というお話しを。「現世利益」はないよりあった方がいいですから。


 最大の功能は、伸び悩みの打開策になることです。
 史料読解能力の伸び悩みは、研究の伸び悩みに直結します。1年も自作辞書を作ってみれば分かりますが、以前の自分と比べ、びっくりするくらい進歩します。仮にそのくらいの期間では自覚できるほどの効果がなかったとしても、少なくとも同じ間違いを二度も三度も繰り返すことはなくなります。それだけでも随分と状況が楽になるはずです。


 そして、書き付けをそのまま辞書として利用する場合について言えば、記憶の結節点としてとても優秀な働きをします。
 六朝史の安田二郎先生が「点で記憶するのではなく、点と点を結んで線で記憶する」のだ、と仰っていたのですが、ぺらぺら紙をめくって用例を繰り返し探すことで、「ああそういえばAの隣にBがあったな」とか、「Aの前の頁にはCがあったな」とか、自分の頭の中に記憶の連鎖が出来上がるようになります。

 メモを取ることに集中するのではなく、先生のお話しを聞くのに集中するのが大切であることは、先に触れました。これがどうして大事なのかといえば、書き付けをめくることで「ああ、このとき〇〇を読んでいたんだった」とか、「この演習のとき、予習段階では自分の読みに自信があったのに、先生の解説を聞いて思わず……」とか、「そういえば先生あの講義の時□□って言ってたのは、△△って意味だったのか」とか、連鎖的にいろいろ(よいことも嫌なことも)思い出せるからでしょう。まずはよく話を聴かなければ、先生が何を仰ったのか思い出しようがありません。自分で辞書を作ることは、その助けにもなります。



 最初のnoteには研究をするうえで最も大事なことを書こうと決めていたのですが、自分の辞書を自作する、ということ以外思い浮かびませんでした。私にとっては、よほどインパクトの強い出来事のようです。それもそのはず。自分の辞書を作る前の私は、博士課程に進みはしたものの鳴かず飛ばずで、もう本当に後がない状況でした。そこにとある人との出会いがあり、強く辞書の自作を薦められ、藁にもすがる思いでとりあえず1年やってみよう、と。

 既に実行されている方、或いは直観像記憶能力のある方以外は、ぜひ1年間お試しください。強くお勧めいたします。「めんどくさい≠非効率」であることを体感できると思います。

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