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シルバー民主主義 -若者不在の「高齢者優遇」議論-

1.医療費、年金、「高齢者が優遇されすぎ」

「今の日本は高齢者が優遇されすぎ」
そんな声が聞こえてきそうです。

医療費の窓口負担は、75歳以上は1割、70〜74歳は2割です。
3割負担で払う必要がある若者・現役世代から見て、どうでしょうか?

今の高齢者は年金を受給できています。
将来、十分な年金をもらえないかもしれない、老後を生きるには2000万円の自己資金が必要とも言われる若者・現役世代から見て、どうでしょうか?

「高齢者優遇をやめろ!」と叫びたくなりましたか?

おそらく多くの方が、「いや、ちょっと待って。高齢者への公的支援を削ったところで何か良くなるのか?」という冷静さをお持ちだと思います。

ここでは、そんな皆さんと「高齢者優遇をやめろ!」の先に何があるのか、考えてみたいと思います。


2.ゼロサム世界(資本主義以前の世界)

まず、簡単な思考実験として、『ゼロサム世界』を想定します。
このような世界では、お金に物質的な価値があり(金貨、金の延べ棒など)、世の中のお金の総量は一定です。

お金というこれ以上増えないパイをみんなで分け合う、もしくは奪い合う世界です。
このような世界では、政府は限りあるお金の分配を担います。
税金として徴収したお金を原資として政府がプールし、それを国民に分配します。

その時に、高齢者に多く分配されれば、若者・現役世代への分配は減ります。
なぜなら、この世界ではお金の総量が一定であり、増えないからです。
その結果、高齢者と現役世代によるお金の取り合い、『高齢者vs現役世代』という構図が生まれます。

このような世界は資本主義以前の世界に相当します。
いつでも紙幣を金(きん)と交換できたあの頃や、米で年貢を納めていたあの頃を思い出してみてください。
そう、あの頃は確かにゼロサム世界でした。(生きてないけど)


3.プラスサム世界(資本主義社会)

しかし時代は変わり、現在の日本は資本主義のシステムを採用しています。
現代資本主義社会では変動為替相場制が採用され、お金そのものに物質的価値はない、というのはご承知の通りです。
お金はほとんどが紙幣や銀行預金の形でやりとりされていますが、例えば1万円札1枚当たりのコストは22~24円といわれており、20数円で作られた「紙」そのものには1万円の物質的価値はありません。
銀行預金も突き詰めればデジタルデータの「数字」であり、その「数字」そのものに物質的価値はありません。

このようにお金そのものに物質的価値はありませんが、政府が国の制度として徴税を行うことによって、みんながお金(=日本円)を欲しがるようになり、お金に心理的な価値が生まれます。
日本円を手に入れないと税金を納めることが出来ず、脱税で捕まってしまいますからね。

さて、そんな現代資本主義社会で、私たちはお金を使って物やサービスをやり取りします。
物質的価値のある「物やサービス」をやり取りするために、心理的価値のある「お金」を媒介として使っているのですね。

資本主義のシステムは「プラスサム」と言われます。
それは、「物やサービス」も「お金」も、その総量が増えていくからですね。

例えば、30年前と比べて、「物やサービス」がより高品質に、より広範囲に供給可能になっていることは多くの方が実感していることだろうと思います。
PCやスマホなどの機器は圧倒的に高性能になりました。
レストランからコンビニスイーツまで、飲食物の味は洗練され、美味しいものが手軽に手に入るようになりました。
車は低燃費で、自動運転搭載のものが売られるようになりました。
医療技術は発展し、新しい薬が使用され、高度な手術が可能になりました。

このような「物やサービス」の供給能力の拡大に伴って、「お金」の総量も増えていきます
前述したように「お金」そのものに物質的価値はありませんから、社会における「物やサービス」の供給能力に応じて、「お金」は増やすことが可能ですし、実際増やされてきました。
むしろ増やさないと社会が回りません。
供給能力が拡大したのに、「お金」が増えないと、増えた「物やサービス」のやり取りが円滑に行えないからです。

その「お金」を増やす役割を担うのは政府です。
政府は財政政策によって、世の中に「お金」を供給しています。

例えば、前述の通り、政府は高齢者の医療費自己負担を少なめにしています。
高齢者の代わりに、政府が医療費を払ってあげているわけです。
名目としては「高齢者への支援」ですが、実際その「お金」は高齢者にわたるわけではなく、医療従事者である現役世代にわたります
現役世代に「お金」が供給されるわけです。
医療従事者が手にしたその「お金」は、何かの「物やサービス」の購入(消費)に使われます。
すると、また別の職種の現役世代にその「お金」がわたります

年金として高齢者に支給された「お金」も、その大半が消費にまわります。
消費によって、その「お金」は労働者である現役世代にわたり、それがまた何かの「物やサービス」の購入(消費)に使われ、別の現役世代の手にわたり…という繰り返しです。

このように、政府が供給した「お金」が、様々人の手にわたると同時に、「物やサービス」がやり取りされ、社会の様々な活動が営まれます。

人が仕事として社会の様々な活動を営んでいくと、その中で業務の効率化や新しい技術開発が生まれ、供給能力が向上し、「物やサービス」が増えていきます。
それに応じて、政府は「お金」の総量を増やしていきます。
しかし、時には「お金」が増えすぎてしまうこともあります。
物質的価値のある「物やサービス」の供給能力を大幅に超えて、物質的価値のない「お金」が増えすぎてしまうと、それはそれで円滑なやり取りが阻害され、社会が回らなくなってしまいます。
社会における「お金」の総量は多すぎても少なすぎてもいけないということ、適切な加速度で増やしていくことが大事、ということなんですね。

「お金」が増えすぎてしまった時、そういう時のためにあるのが税金という仕組みです。
政府は税金として国民からお金を取ることによって、世の中の「お金」の総量を減らすことができます。

では、このような『プラスサム世界』(資本主義社会)において、「高齢者にお金を使うな!」がどう社会を変えるのか、見ていきましょう。


4.「高齢者にお金を使うな!」で得をするのは誰?

『プラスサム世界』(資本主義社会)である現在の日本において、「高齢者にお金を使うな!」、すなわち高齢者支援の政府支出を減らすとどうなるでしょうか。

先ほど医療費や年金の例で述べたように、高齢者支援として政府が供給した「お金」は、高齢者にも現役世代にも流れる「お金」です。
これを減らすと、高齢者にも現役世代にもお金が流れなくなります
それは当たり前ですね。

すると、世の中のお金の総量が減ります
これも、政府が「お金」の供給量を減らしているので当然ですね。

お金の総量が減ると、低インフレ・デフレが起こります。
お金が少ないので、「お金」の相対的価値が上がり、「物やサービス」の相対的価値が下がります。
「物価が上がらない社会」です。

「お金」の総量が減り、「物やサービス」のやり取りも減るので、当然給料は上がりません
「物やサービス」の供給能力の向上も阻害されます。つまり技術の発展も遅れます。

このような「給料が上がらない社会」「物やサービスが向上しない社会」は、一見すると高齢者にも若者・現役世代にも損な社会のように思えます。

しかし唯一、このような社会で得をする人がいます。
それは、巨額の資産を持っている超富裕層高齢者です。
このような社会では「お金」の相対的価値が上がるので、彼らが所有している莫大な資産の価値が上がり、得をするのです。
彼らは給与所得で生活しているわけではないので、社会全体で給料が下がろうが影響はありません。
国内の「物やサービス」が向上しなくなっても、その莫大な資産を使って海外の「物やサービス」を購入すれば良いので全く困りません。

「高齢者にお金を使うな!」で得をするのは超富裕層高齢者なんですね。


5.「みんなにお金を使おう!」で得をするのは誰?

今度は逆に、「みんなにお金を使おう!」、すなわち高齢者支援も若者・現役世代支援も含めて、国民のための政府支出を増やすとどうなるでしょうか。

当然、高齢者にも現役世代にもお金が流れます
みんなが欲しいものを買えて、「物やサービス」のやり取りが円滑に行われます。
政府が「お金」の供給量を増やしているので、世の中のお金の総量が増えます

「お金」の総量が増えて、「物やサービス」のやり取りが増えるので、あらゆる職種で給料が上がっていきます
「物やサービス」の供給能力が向上、つまり技術も発展していきます。
お金の総量が増えていくので、「お金」の相対的価値が下がり、「物やサービス」の相対的価値が上がります。
これが需要牽引型インフレ「物価が上がっていき、それ以上に給料が上がっていく社会」です。

このような「物価が上がっていき、それ以上に給料が上がっていく社会」「物やサービスが向上する社会」は、明らかに高齢者にも若者・現役世代にも得な社会、みんなにとってハッピーな社会ですね。

しかし実はこのような「物価が上がっていき、それ以上に給料が上がっていく社会」で、唯一損をする(ような気になる)人がいます。
それは、巨額の資産を持っている超富裕層高齢者です。(また出た)
このような社会では「お金」の相対的価値が下がるので、彼らが所有している莫大な資産の価値が下がり、損をするのです。

一方で、このような需要牽引型インフレの社会では、住宅や車のローンや奨学金などで「借金」を抱えている若者・現役世代にとっては、その負担が減っていきます
「お金」の相対的価値が下がるので、「借金」の価値(マイナスの価値)も小さくなるからです。
同じことがいわゆる「国の借金」にも言えます。
需要牽引型インフレの社会では、「国の借金」の負担も減っていくわけです。

これは、超富裕層高齢者にとっては面白くありません。
自分の莫大な資産は価値が下がる一方で、「国の借金」は減り、若者・現役世代の「借金」の負担も減っているわけで、まるで自分の資産が国や若者に取られたような気分になるわけです。
これは俗に「インフレ税」と呼ばれます。
(実際に税金を取られたわけではないが、インフレによってあたかも税金を取られたかのような気になる)

そんなにも巨額の資産を持っていながら、少しでも自分が損をして他人が得をするのが許せないのか…と呆れてしまいますが、やはり自分の損得に異様に敏感だからこそ彼らは大金持ちになれたのだと思います。

ということで、「みんなにお金を使おう!」で得をするのは「みんな」であり、高齢者も若者・現役世代もみんなハッピーな選択肢なんですね。
ただし、超富裕層高齢者にとっては損な選択肢…なのでした。


6.その対立構図に若者は不在?

このように現在の日本の状況を丁寧に見ていくと、「高齢者の優遇」(=高齢者支援の政府支出)を巡る実際の対立構図が見えてきます。

高齢者支援の政府支出を減らすことで、損をするのは高齢者(と若者・現役世代)であり、得をするのは超富裕層高齢者でした。
『高齢者vs超富裕層高齢者』という対立構図があるわけです。

よくテレビなどで、「今の日本は高齢者が優遇されすぎ」「高齢者の優遇をやめるべき(=高齢者支援の政府支出を減らすべき)」と言っている評論家やコメンテーターっていますよね。
あたかも「若者の声の代弁者」のように振舞いながらながら主張を展開しています。

しかし、よくよく考えれば、彼らは明らかに「超富裕層高齢者の予備軍」ですよね。
現在売れっ子評論家として多くの収入を得て、もちろん将来への経済的不安もなく、20年後30年後には多くの資産を持った超富裕層高齢者になっていること間違いなしでしょう。
そんな彼らが言論活動によって低インフレ・デフレにつながる政策を実現し、「インフレ税を避ける」という自身への利益誘導を行うもの、極めて合理的な行動だといえます。

もちろん、一見して「若者の声の代弁者」のように振舞っているわけですから、そういった主張に賛同する若者・現役世代の人も実際かなりいるでしょう。
私たち現役世代は、超富裕層高齢者(やその予備軍)の言論活動の「都合の良い手駒」になっていないか、一旦立ち止まって考えてみる必要があるかもしれません。

注目すべきは、そこにある実際の対立構図は『高齢者vs超富裕層高齢者』であり、若者・現役世代が不在であるということ。
超富裕層高齢者に利益誘導するための言論活動の「都合の良い手駒」になっていても、議論の主体になっているとは言えないでしょう。

まさに『シルバー民主主義』ですね。


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