【短編】愛日
愛日......冬の日光。冬の穏やかな太陽。時間を惜しむこと。
彼女の死が思い出となるまでに、どのくらいの星が眠りに落ちたことだろう。
一人の夜を忘れた刹那は、春の夢のよう。再び襲い来た寂しさとかなしみに、毛布を被って誤魔化す日が続いて一つ二つと闇を重ねる。
止まらぬ時計の長針に急かされ生きて、二年。
瑣末ながらも長い時間が記憶に残ることはなく、短針が脳に記憶を刻み出したのは、花も凍る冬の終わり。太陽が季節を間違えて落ちてきたのか、月が地上を哀れんで涙を流したのか。真偽は知れずとも、それが幸福を齎《もたら》したことには変わりない。
神の落とし子と言わしめる金色の輝きを、芝蘭(シラン)は目を細めずに見つめないではいられなかった。
「さむーい」
雪で象ったような白い肌が、季節の白粉を受けて赤らんでいた。
反り返った長い睫毛は瞬きの度にかろうじて凍らない艶を走らせ、職人が切り出したような大きな黄水晶に繊細な煌めきを落とす。彫刻師が全ての彫りに神経をかけたと言っても過言にならない麗しい顔の稜線を視線でなぞれば、首元を守るマフラーに先端を隠した金髪が視界を踊る。
外套を纏っていても目に見える痩身体躯は儚さと力強さを併せ持ち、その両側で子供らしく揺れる腕はさっきから雪に夢中だ。
この大陸の、一年の半分を支配する、冬。
木々は仮の生命に呼吸を閉じ込めひっそりと春を待ち、土は地中深くに養分を落とし込み、雪解け水を豊かにする。動物の呼吸は常に白化粧に彩られ、艶やかな色を保つのは各々の髪や瞳、生み出した加工物のみとなる。
氷点下にまで気温が下がる気候の下に、それでも心魔(こうま)が生きていられるのは彼らの特性故だ。日に焼けやすく、変質しやすい色素が髪と瞳を光から守る。魔力と寿命の繋がりを失った代わりに、固化した智慧が盾となり彼らを護る。
そういう種族において、白銀の上を踊る子供は、生命の奇跡とも呼べた。
芝蘭の父が築き勝ち得た力強さより、ずっと貴重で希少な、命の結晶だ。
「芝蘭。見てみて、淡雪兎」
いつの間に掬い上げたのかも分からない雪玉を動物の形にして、子供が笑う。発想と行動の甘やかさが、自然、見る者の──芝蘭の頬を緩ませる。
「……ああ、かわいいな」
「ソニアにも見せてこよ」
「転ぶなよ、透火(とうか)」
子供の名は、芝蘭の耳には新しい響きを伴って聞こえる。生まれた時から教え込まれた旧い言語が、芝蘭に身近な言葉だというのに。
器用に南天の実を目に模して、透火は満足げに頷くや、掌ほどの雪の塊を大事そうに運んでいく。
雪原の中に花を咲かせるように、二つ結びの桃色髪が弧を描いた。
口を噤んでいれば可憐な少女だが、貴族の娘らしい勝気な瞳と頬に埋め込まれた刺青が、彼女の鮮烈で情熱的な性格を視覚的に表出する。
「かわいいじゃない。私に頂戴!」
「やーだよ」
「なによ!そのために見せにきたんじゃないの」
白い上着は三人揃いのもので、召使が微笑みながら着せてくれたものだ。透火と同じく頬と鼻を赤く染め、ソニアが両手を差し出し愚図る。
二人の白い腕に雪が乗って、陽光にきらきらと輝く。先ほどの慎重さをどこへ投げたか、雪玉を持って走り逃げる透火を、ソニアの菫色の瞳がしつこく追う。
「こんなかわいいのに、あげられるわけないじゃん」
「ふーん! 私がその子みたいにかわいいってこと?」
「淡雪兎のほうがかわいい!」
「なっまいき!」
影も残らぬ庭を、絵の具を広げるように二人が駆け回る。
やがて茂みの上を雪玉が飛び交うようになり、のんびりとしていた芝蘭の顔面にも一つ、ぼすんと流れ弾が命中した。
「なにやってんのよ!」
ぱちぱちと瞬きで雪を溶かしている間に、ソニアと透火が取っ組み合いを始める。
白い植物に色のある花が咲いたようで、色を取り込みやすい自分の瞳に二人の姿はとても眩しく、温かい。
見上げた空は水色。
かつて芝蘭を愛し、この世の生を教えてくれた人の色が、三人を見守るように広がっている。
城内では解けることのない緊張が、ほうと白い吐息に乗って流れていく。
「……温かいな」
独り言に自分で笑って、二人の下へ、静かに足跡を刻んだ。