「推し」という概念について語ってみた。
アイドルや漫画など、フィクションでもノンフィクションでも「推し」が存在する人はいるだろう。
私もそのひとりである。
ジャニーズもアニメもドラマもなんでも何かしら「推し」がいた。
どうしても誰かに目が留まってしまうのだ。もちろん悪いことではない。だが、困ることもある。
①時間が奪われる
推しについて考えるとググったり検索したりして理解を深めて沼にハマっていく。つまり他のことを差し置いてそのことに夢中になってしまう。気づいたら1日終了していた。学校の中間テストの前に漫画を読んでしまいハマってしまい勉強できないままテストに臨む・・・なんてこともしばしばあった。
②推しが幸せになれないと辛い
三角関係の当て馬に堕ちて漫画の続きが読めなくなる。幸せになれないと分かっていても応援したくなってしまう。最後まで見ていると結ばれた相手の方を嫌いになってしまいそうになる。結末を受け入れがたくなってしまうのだ。ストロボエッジとかアオハライドとか読んでいて報われない男達をどうしても応援してしまうのだ。天邪鬼なわけではないと思いたい。
③別に自分が推しと結ばれるわけではない
3次元ですら、知ってもらえる望みは限りなく薄い。2次元なんてそもそも出会うことすらできない。それでも、みんな貢ぎ応援する。なぜ報われないのに応援するのか。応援した分の対価が得られるわけでも自分が応援している声も届かない可能性が高い。それでもみんな応援するのだ。自分が貢献できれば良いのだ。なんて健気なのか。よく考えると泣きたくなる。
推しというものは、とても儚く報われない。
それでもきっと、これからも誰かが誰かを推す。決して恋愛感情ではない人もいる。どれだけ貢いでも報われるわけではない。見返りを求めているわけではないから。
人間の謎の習性である。何かを応援したくなるという感情はとても素晴らしいものだ。お