見出し画像

「1971年うまれのぼんやり音楽体験」 第1回 サザンオールスターズ

サザンオールスターズとの出会いは、1985年頃に読んだ桑田佳祐のコラムだった。2歳上の姉の部屋にあった雑誌に載っていた連載コラムだったと思うのだが、何の雑誌だったか思い出せない。早速ぼんやりして申し訳ない。なんとなく「セブンティーン」とかだった気がするが、「プレイボーイ」だった気もする。だが16歳の姉が「プレイボーイ」を読んでるわけがない。検索してみたが、ネットで何でも出てくると思ったら大間違いだった。何にも手がかりが出てこない。とりあえず、記憶を頼りに書いてみるが、間違いなく覚えているのは、桑田佳祐率いるサザンオールスターズはアルバム『KAMAKURA』のレコーディング中だったということだ。

桑田はコラムの中で、サザンはかれこれ1年ぐらいレコーディングのためにスタジオに入っているようなことを書いていた。確かに、この時期に「ザ・ベストテン」にはアルバムからの先行シングル曲「Bye Bye My Love (U are the one)」「Melody(メロディ)」がランクインしていたが、狭いスタジオの中でメンバーが椅子に腰かけたまま円になって中央を向き、ヘッドホンを付けた状態で「Melody(メロディ)」を歌っているのを見た記憶がある。当時14歳(中2)で音楽を聴きだしたばかりの僕の目には、その光景がなんだかとてもカッコよく映った。バラードの「Melody(メロディ)」、アップテンポのラテンノリながら切ない「Bye Bye My Love (U are the one)」共に心を鷲掴みにされて、あっという間にサザンの大ファンになった。

コラムの中で桑田は、「Bye Bye My Love (U are the one)」に出てくる歌詞〈悲しみの雨が降る この街のどこかで 人々が眠る頃 俺は泣き続ける〉という箇所について、煮詰まっていた状態からスタッフの男性にインスパイアされてこの歌詞が出てきたようなことを書いていたと思う。さらに「はっと見りゃ湘南御母堂」というコーラスの印象的なフレーズについても会心のフレーズであることを書いていた気がする。いずれも、「たしかそんな気がする」というぼんやり加減なのだが、「湘南御母堂」という語感は、江の島にも鎌倉にも、神奈川県自体にも行ったことがなかったはずの田舎の中2にとってはインパクトのある言葉であった。「きっとそういうお地蔵さん的なものが祀られているんだろうな」と完全に思い込んでいた。ところが最近になってWikipediaを見てみたら、「湘南御母堂」はなんと桑田の造語であった。マニアの人にとってはとっくに周知の事実だったのだろうが、長年なんの疑問も抱いていなかった僕の頭の中にあった架空の観光スポット「湘南御母堂」は瞬時に消失した。それにしても、すごい。実在しそうでしないというこんな言葉が出てくるなんて、やっぱり桑田佳祐は偉大なソングライターであり日本音楽界で有数の詩人だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?