研究書評

6月22日
私自身近年日本を俯瞰的に見た時に、若者の軸、また不安定なときにすがるものがなくホストに貢いだり、推し活が活発化していると考えられる。そのため、人は何に依存し支配されるのか人間の本質を知りたかったため、この『なぜ、人は操られ支配されるのか』を読んだ。

筆者は、現代の日本は自分で考えないで良い楽な社会になっていないか、と問題意識を読者に問いかけており、より自分をしっかりと持つことを推奨している。今の時代は、社会心理の変化によりばらばらな個人の混沌の時代になっている。経済の停滞はつづき、明るい未来像は一向に見えることなく、世の中はどんどん閉塞感に包まれていく。また、インターネットの登場がより社会を一変させ、情報の洪水の中、正しいのもが分からなくなり、自分で決めるということができなくなった。SNSが広まると、同じ価値観を持つ人たちだけが集まり、都合の良いメンバーだけでグループが作れるようになった。すると、自分の周囲には自分の意見に賛同してくれる人しかいない。自分で決めることができなくなった人たちは、『自分は正しい』『間違っていない』というよすがをネットのいいねに求めるようになっている。この曖昧な状況に対する寛容性の弱さや不安定や不確実な状況に耐えられないのは、現代の教育システムにも原因がある。すべての問題に正答があり、教育の目的はその正答を探させ、覚えさせることにある。そのため、困難に直面した際には科学的に解明できなければ超能力などの神秘性が魅力にみえてくる。自己実現の渇望の前に現れるのはカルト信教である。不安定な状況に耐えられないとき、人は絶対的な支配を求めることになる。何かにすがってラクになりたい。ただ、その気持ちの拠り所がない。 

この本を読んで、
日本教育はますます形を変えなければ、柔軟性に欠ける子どもたちが拠り所をなくしてしまう社会になると感じた。やはり、日本教育を根本的に変えていくか何か対策を練らなければならないと思う。より成功者のロールモデルを子供たちに示していく場を作っていくべきである。


※ロールモデルと柔軟性、ここに違和感を感じる。

6月29日

今回は、堀江貴文著の『すべての教育は洗脳である』を読んだ。理由としては、図書館でパラパラと本をめくった際に自分が感じていた社会への問題意識の内容がもろに書かれていたからだ。本日はそのいくつかの論点を取り上げて自分の意見とまとめたいと思う。

まず、堀江氏は『学校は必要ない』という意見で本書をまとめている。学校は、そこに通う人間をとにかく規格通りに仕上げようとし、建前上は「個性を大切に」「のびのびと育ってほしい」と言っているが、その裏では「ただし常識の範囲内で」という本音が潜んでいると。一定の年齢に達した国内の子どもを一箇所にまとめて、読み書きや計算を教える、こうした※学校制度の基礎は、19世紀、つまり産業革命のイギリスで生まれた。これは、雇用者にとって管理が楽な望ましい労働者としての規格からはみ出ないようにするための教育のようである。ただ、国家というファンタジー=フィクション がなくなりつつある今、この教育は無意味であると述べている。かつては人々の居場所が「国家」「企業」「学校」であり人々は自分がその共同体の一員だと信じることで、自分の居場所を実感し、アイデンティティを育むことができた。しかし、インターネットにより国家の壁が取り払われた今、※人はそれぞれあらゆる壁を越えて居場所を自在に作ることができる。

この著書を読み、私自身共感が多かったが、それと同時に今後深めたい学や反対意見もしっかりと考える必要があると感じた。まず、反対意見とはこの日本の教育制度がもたらした恩恵、またこの教育制度によってもたらされた日本人の特性がもしかしたら世界にとって必要であるかもしれない可能性、言い出したらキリがないが私は日本の教育制度を批判的な視点でしか考えたことがなかったため、他視点も考えてみたいと感じた。また、レールに沿った、沿ってないに良い悪いは決してないとも感じた。ただ、私自身やはりこの日本の閉塞感やこんなにも物質豊かな国であるのに自分に満足感を感じられないで生きている人、子どもが多いことがどうしてもこの教育が関連している気がしてならないので、もう少し文献を読み進めたいと思う。

7月6日

7月13日

7月20日


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