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運命で繋がれたふたりのディーバ~映画『リスペクト』ジェニファー・ハドソンが演じるアレサ・フランクリン

ジェニファー・ハドソンが"ソウルの女王"=アレサ・フランクリンを演じた映画『リスペクト』がついに日本公開!生前のアレサ本人がジェニファーに主演のオファーをしたという話題の本作だが、ジェニファーのキャリアを振り返るとアレサ役を演じることは運命だったかのように見えてくる。音楽ライターの林 剛さんが、そんなアレサ・フランクリンとジェニファー・ハドソンの不思議な運命の繋がりを、映画のレビューやサントラ楽曲の紹介と交えて紐解く。

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 2019年1月13日、米ロサンゼルスのシュライン・オーディトリアム。その前年(2018年8月16日)に亡くなったアレサ・フランクリンのトリビュート・コンサートが行われた。

【Aretha! A GRAMMY Celebration For The Queen Of Soul】と題されたコンサートは、アレサの生前にその功績を称えようと企画されていたもの。何度か延期を繰り返した末にグラミー賞を主催するレコーディング・アカデミーの冠が加わり、最終的には第61回グラミー賞のプレ・イヴェントとして開催された。後に米CBSでTV放映されることが決まっており、当日は“公開収録”となるため、観客はTVプロデューサーから拍手や歓声のタイミングを指示される。客席前方にはトリビュート企画の発案者であるクライヴ・デイヴィス(言うまでもなく、かつてアレサをアリスタに迎え入れた音楽業界の重鎮)らVIPが集っていたが、観客はエキストラのような扱いとなるため、良席でもチケットは100ドルに満たない。迷わず購入し、勢いでLAに飛んだ。

 司会進行は劇作家/映画監督/俳優のタイラー・ペリー。アリシア・キーズやH.E.R.、パティ・ラベルといった新旧のR&Bスター、シャーリー・シーザーやヨランダ・アダムスといったコンテンポラリー・ゴスペルのレジェンド、そしてセリーヌ・ディオンなどがアレサの名曲を歌っていく。そのコンサートでトップ・バッターを飾ったのがジェニファー・ハドソンだった。この時、既に映画『リスペクト』でアレサ役を務めることが決まっていたジェニファー。

 白のドレスでステージに現れた彼女は、“Think”“Ain’t No Way”“Respect”というアレサの代名詞的なアトランティック初期のヒットをパワフルな声で歌い上げた。「私がアレサ…文句ある?」とでもいった表情で。実際にジェニファーがそこまで思っていたかはわからない。が、自分にはそう映った。始まったばかりのコンサートは、観客も総立ち大歓声で、初っ端からクライマックスのような熱狂に。映画『リスペクト』の撮影は2019年9月に始まったというから、その準備に取り掛かり始めた頃だろう。生前の本人から直々に指名を受けてのアレサ役。ソウルの女王を演じる覚悟のようなものが、そのパフォーマンスからは感じられた。

 これを観ながら思い出したのが、2014年の〈BET Honors〉でのジェニファーだ。彼女は、客席最前列に座るアレサ本人の前で“Rock Steady”“Think”“Respect" "Day Dreaming" "(You Make Me Feel Like) A Natural Woman""I Never Loved A Man (The Way I Love You)"といったアレサの名曲をメドレーで披露。この時のパフォーマンスがアレサの心を動かし、改めてジェニファーに演じてほしいと思ったという。以前、ハル(ハリー)・ベリーをアレサ役に指名していたという話はこの時点でナシとなる。

 ジェニファーは撮影を終えてからも、昨年6月の〈BET Awards〉で“Young,Gifted And Black“をピアノ弾き語りで熱演。かつて公民権運動に関心を寄せていたアレサが黒人女性活動家のアンジェラ・デイヴィスの不当逮捕に心を痛めてカヴァーしたニーナ・シモンの曲だ。ジェニファーは、ミネアポリスでの警察官による黒人男性殺害事件を受け、ブラック・ライヴズ・マター運動の一環として同曲を歌ったのだろう。

 ジェニファーはシカゴのサウスサイド(エングルウッド)出身。ブルースの聖地として知られ、数々の黒人ミュージシャンを輩出し、ミシェル・オバマの地元でもある同所は、アレサがソウルフード店の女将役で出演した映画『ブルース・ブラザーズ』(80年)のロケ地でもある。幼少期には、アレサと同じ宗派となるバプティスト派の教会でゴスペルを歌っていた。

   そんなジェニファーがTVを通してお茶の間に姿を現したのは2004年、人気オーディション番組『アメリカン・アイドル』のシーズン3でのこと。当時20代前半。その予選で歌ったのがアレサの“Share Your Love With Me”だった。もともとはボビー・ブランドが吹き込んでいた曲で、69年に発表されたアレサのヴァージョンはグラミー賞で「最優秀女性R&Bヴォーカル・パフォーマンス賞」を獲得。もちろんジェニファーはこのアレサ版を参考にしてオーディションに臨んだわけだが、ここでアレサの曲を選んだ時点で映画『リスペクト』に至るストーリーは始まっていたとも言える。

 アレサの曲で予選を通過したジェニファーは、ファイナリスト12人となった際の勝負曲でもアレサの曲を選んだ。歌ったのは“Baby,I Love You”。オリジナルは『Aretha Arrives』(67年)に収録されてヒットした曲。超有名曲ではないものの、サザン・ソウル風のファンキーな曲はジェニファーのパンチの効いた歌唱を発揮するにはもってこいだった。結局ジェニファーはファイナリスト7人に残ったところで敗退するが、そこでジェニファーと最下位に並ぶも最終的にシーズン3の優勝者となったのがファンテイジアである。

   ジョデシィのK-Ci&ジョジョのいとことして知られる彼女も教会で歌い始め(ファミリー・ゴスペル・グループとしての録音も残している)、アレサに憧れていた。しかも10代で未婚のまま出産。授かった娘の父親からは暴力を振われ、顔が腫れるまで殴られたことをキッカケに新しい人生を歩み始める…というなかなかに壮絶なエピソードはアレサを彷彿させる。後にアレサとは“Put You Up On Game”(2007年作『Jewels In The Crown: All-Star Duets With The Queen』に収録)で共演。そんな彼女だけに、アレサのバイオピックには「ファンテイジアこそアレサ役に相応しい」という声も一部であがっていた。

 ところが、人生どうなるかわからない。『アメリカン・アイドル』でファンテイジアと競って敗退したジェニファーは、数年も経たぬうちに映画『ドリームガールズ』(2006年)で銀幕デビューを果たす。ダイアナ・ロス&ザ・スプリームスのストーリーを参考にしたとされるミュージカルの映画版でジェニファーが務めたのは、81年にブロードウェイにて初演された舞台でジェニファー・ホリデイが演じたエフィ。歌唱力はあっても優遇されないエフィがどん底に落ち、悲嘆に暮れながら“And I Am Telling You I'm Not Going”を絶唱するシーンはハイライトのひとつであり、ここでのジェニファーの鬼気迫るような歌唱と演技は主演のビヨンセを食ってしまったとも言われた。

 結果、アカデミー賞で「最優秀助演女優賞」を獲得。この時はまだ自己名義の曲を歌うシンガーとして公式デビューしていなかったのだから驚く。だが、『アメリカン・アイドル』敗退後にアレサのコンサートで前座を務め、オスカー受賞後にアレサ本人からバイオピック出演の話を持ちかけられるなど、早い段階で女王からお墨付きを得ており、その頃からアレサを継ぐシンガーとしての自覚が芽生えていたのだろう。

 そんなジェニファーを当初シンガーとして受け入れたのは、奇しくもファンテイジアが先に所属していたクライヴ・デイヴィス主宰のJレコーズだったが、最終的にはアリスタから2008年にデビュー。つまり、2007年までアリスタに在籍していたアレサと入れ替わるような形で同社から登場したわけで、そんな意味でもジェニファーはアレサを継ぐ存在だとも言える。2014年には、アレサもジェニファーもそれぞれRCAからアルバムを発表した。

 とはいえ、ジェニファーは自身の楽曲でアレサを気取ろうとしていたわけではない。声質もアレサとそれほど似ていない。確かにゴスペルのバックグラウンドを感じさせる爆発的な唱法はアレサに近い。だからこそ今回『リスペクト』でアレサ役を務めることができた。

 だが、例えば、レイ・チャールズの伝記映画『レイ』でレイを演じ、生き写しだと評判になったジェイミー・フォックスほどは似ていないし、そもそもそっくりさんぶりを競おうとしているわけでもない。その点では、ナショナル・ジオグラフィックTVで放送された伝記ドラマ・シリーズ『ジーニアス:アレサ』(全8話)でアレサを演じたシンシア・エリヴォにも同じことが言える。似ている、似ていないではない。少々クサい言い方をすれば、彼女たちはアレサの魂(ソウル)を演じたのだジェニファーは映画の撮影にあたってアレサの声に近づけるべく研究やトレーニングを重ねたというが、「模倣ではなく、“影響を表現"した」と語っている

 映画『リスペクト』のスクリーンに映るのは紛れもなくあのジェニファーである。しかし、“アレサを演じるジェニファー”に感情移入していくうちにジェニファーがアレサに見えてくる。牧師の父C.L.フランクリンの束縛や最初の夫テッド・ホワイトからの暴力に悩みつつも、それを燃料にして名曲を生み出したアリサのタフな生き様を彼女は見事に演じ切った。2008年に家族が殺害され一時は活動休止を余儀なくされたジェニファーの過去とアレサの七転び八起き的な人生を重ねるわけではないが、実生活でもどん底を味わったジェニファーの演技や歌には、『ドリームガールズ』でエフィを演じた時とは違った深みがある。

 そう思いながら、ほぼ全編ジェニファーが歌う『リスペクト』のサウンドトラックを聴いてみる。むろんその内容は、ゴスペルを歌い始めた少女時代から『Amazing Grace』としてレコード化される71年の教会コンサートまでを描いた映画の流れに沿ったもので、アトランティック時代の名曲カヴァーが中心。『アメリカン・アイドル』でアレサの曲を歌っていた姿も頭をよぎる。

 アルバムのプロデューサーとしては、映画のエグゼクティヴ・ミュージック・プロデューサーであるスティーヴン・ブレイとジェイソン・マイケル・ウェブに加えてハーヴィ・メイソンJr.の名前もある。R&Bプロデューサー・チームのアンダードックスとして活躍していたメイソンは、映画『ドリームガールズ』のサウンドトラックを手掛け、ジェニファーのソロ作もバックアップして信頼関係を築いてきた。また、ヴォーカル・プロデューサーを務めるトロイ・テイラーは、アレサの『So Damn Happy』(2003年)でメアリーJ.ブライジ(今回の『リスペクト』でダイナ・ワシントン役を演じている)の参加曲をプロデュース。つまり、ジェニファー、アレサそれぞれを知る人物がジェニファーとアレサを結びつけたことになる

 また、かつてアレサが米南部のマッスル・ショールズでソウル・シンガーへと生まれ変わる瞬間に鍵盤奏者として立ち会ったスプーナー・オールダムがオルガンとウーリッツァーを弾いているのも心憎い。加えて、バック・コーラスには、アリスタ時代のアレサ作品に参加していたリサ・フィッシャー、タワサ・エイジー、シンディ・マイゼルといったスタジオ・セッションにおけるファースト・コールの女性シンガーたちが駆けつけ、アトランティック時代のアレサを支えたスウィート・インスピレーションズを演じているのだから面白い。

 サントラで唯一オリジナルの新曲として収録されたのが“Here I Am(Singing My Way Home)”だ。かつてアレサのために“(You Make Me Feel Like)A Natural Woman”を書いたキャロル・キングが、ジェニファーやジェイミー・ハートマンと共作したスロウ・ナンバー。プロデュースにはウィル・アイ・アムが関わっている。ウィルとジェニファーは昨年、U2のボノやYOSHIKIとともに不安定な世の中で生きる人々に捧げた“Sing For Life”でも共演。“Here I Am(Singing My Way Home)”はそのコラボに通じる雰囲気もありながら、「ありのままの私でいく」とも解釈できる曲のテーマは“(You Make Me Feel Like)A Natural Woman”を思わせる。

 また、オルガンの伴奏がつく教会風のサウンドはアレサ・ヴァージョンの“Bridge Over Troubled Water”(オリジナルはサイモン&ガーファンクル)を連想させるし、感情を溜め込んだジェニファーのヴォーカルはアレサの葬儀で“Amazing Grace”を歌った時のそれも思わせる。つまり、ここにはアレサから体得したレディ・ソウルとしての矜持が集約されている。映画のエンドロールでこの曲が流れてきた時、やはりアレサを演じるのはジェニファーしかいなかったと思ったのは自分だけではないはずだ。