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058 :2022年2月 長崎五島の旅②

<前回のあらすじ>
・五島市主催「椿まつり」のコンテンツ構成のお手伝いをしました
・でも「椿まつり」はコロナの影響で中止に
・でも「せっかくだから」と予定していた出張を強行
・今回初めて福江島から宇久島、小値賀島を訪問
・宇久島「平原ゴルフ場」でメンバーと偶然出会いがあり翌日プレーできる僥倖に恵まれたものの、ゴルフクラブを福江に置いて来ちゃった

持つべきものは(飲み)友

 偶然の出会いにより翌日の平原ゴルフ場でのプレーのお許しを頂いたのは良いけれど、ゴルフクラブを福江島に置いて来てしまったのでプレーは絶望的。会長は

「レンタルクラブとロストボールを貸してあげるので、それを使えば?」と言ってくれたのだけど、自分がレフティと知ると、「ああ、それはイカン」との返事。翌日の朝に博多からフェリーで宇久島入りするT島夫妻のプレーに同行しながらコースを散策するだけでも、旅の目的自体は十分に果たせるか・・・・・・・などと思いつつ、T島さんに

・メンバーの計らいで翌日プレーをできるようになったこと
・でも私はクラブを福江に置いて来てしまったので、プレーはT島夫妻でどうぞどうぞ

という旨のメッセージを送信したところ、何とT島さんの福岡のゴルフ仲間のきんちゃん(レフティー)が持っているサブのゴルフクラブのセットを借りて持ってきてくれるというではないか!

 きんちゃんとは、T島さんが毎週金曜日にZOOMで定期開催しているリモート飲み会「イナック高円寺」で絡ませて頂いたり(私自身参加回数少ないのだけれど)、昨年末には高円寺で開催されたリアル忘年会で仲良くさせて頂いたりという間柄なんだけれど、T島さんの機転ときんちゃんの優しさに宇久島で当日予約した「藤屋旅館」さんの枕を涙で濡らした私。

晴天、暴風のゴルフコースに「溶け込んでゆく」

 翌日(24日)、宿泊した旅館で朝食を頂き、チェックアウト時にこの日プレーする平原ゴルフ場のプレー代金を旅館で支払い(前日メンバーに伺った話では、ビジターは宿泊する宿にプレー代金を支払えばその宿経由でゴルフ場メンバーの誰かにその連絡が入り、料金がゴルフ場に徴収されるような仕組みになっているらしい。その仕組み自体何とも素晴らしいというか、離島というクローズドなコミュニティだからこそ成立するシステムではないかと妙に感動した)、早朝に宇久島に到着していた(港の仮眠室で寝ていた)T島夫妻をピックアップし、再び平原ゴルフ場へ。

 ゴルフ場の素晴らしさについては、既にT島さんがnoteで記事にしているのでそちらを参照頂きたいが、この日は天気は良かったもののこの時期特有の北東の風が強く吹いていて、控え目に言って普通に立っているのもまあまあ辛いようなコンディション。もう少し具体的に言うと、アゲている(向かい風が強い)ホールではドライバーでナイスショットしても200ヤード行かない感じ。

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 ハーフ終わったら、前日いらっしゃった会長さんがわざわざ来てくれていて、「手引きカート使いなさい」「ボールなくなっただろうから、俺のロストボールあげよう」という、何とも心温まる気遣いをしてくれた。そして後半ハーフは、以前T島さんが勤務していた広島の中古ゴルフショップの常連さんだった(T島さんが店にいた時からの常連さん)も一緒にラウンドに加わって諸々のレクチャーをして頂けることに。

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(会長。お借りしたボールはニューボールにしてお返しにあがります)

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(ぱっと見カッコいい写真ですが、ロストボール探しています)

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 偶然が重なって幸せなことに平原ゴルフ場でプレーする機会に恵まれたのだけれど、何て言ったらいいんだろう。「これがゴルフの原点だ」みたいな表現をしたら共感を頂くことができるのかもしれないんだけど、その「ゴルフの原点」が何なのかを知らない、スコットランドにも行ったことのない自分が「平原ゴルフ場をプレーしてゴルフの原点を知った」「日本のスコットランドを知った」なんてことを言っても一ミリも説得力がない訳で。

 それでも今回平原ゴルフ場でプレーをさせて頂いて、普段自分がゴルフ場でやるような「飛距離計測器を使っての距離測定」は全くしなかった。最後の方はスコアカードにスコアを記入することすらしなかった。なんていう感覚なのか今でもうまく表現できないのだけれど、このゴルフ場に来て「残り距離を測定すること」や「スコアを記入すること」自体が陳腐に見えてしまったというか。いや、陳腐に見えてしまったというよりも「そのこと自体を必要としないような新たなゴルフのプレースタイルに出会った」というのか何というのか。

 この感覚をテキスト化するのはすごく難しいのだけれど、あえて言葉を探すとするならば「おおらかさ」という言葉に集約されるのだろうか。これは恐らく、前日に出会った島のメンバーさんたちとの出会いも影響されているのではないかと思うのだけれど、強風に煽られ元々牧草地だった荒涼な大地の上で翻弄されながらそれでも必死にゴルフボールを追いかけるうちに、見知らぬ誰かに「もっと自由にゴルフを楽しみなさいな」とそっと囁かれたような感覚を覚えたのだ。それはまるで自分自身がゴルフコースに「溶け込んで」ゆくような感覚だった。

 こんな素敵なゴルフ場だけれど、宇久島全体が今後メガソーラー建設で島の存続を維持する方向を明確にしていることもあり、ゴルフ場自体も恐らく5年前後を目途にメガソーラーパネルになるらしい。

 そのことについて、島のメンバーに「こんな素晴らしいゴルフ場がなくなってしまうことに対する危機感であったり、そこから立脚した残そう、という気持ちや運動はないんですか?」と問いかけたところ

「いやあ、遊び場がなくなるのは残念だけど、ゴルフ場として使うよりもソーラーにした方がコレになるでしょ」

と言いながら、人差し指と親指で〇を作っていたのがとても印象的というか離島の現実を象徴していると思った。メガソーラーで島の存続を選択したのは島民の「民意」であり、よそ者の私には口をはさむ余地など一ミリもないのだが、平原ゴルフ場という素晴らしい野趣溢れるゴルフ場で偶然にもプレーできた幸せと、この素晴らしい環境が恐らく近い将来メガソーラーパネルに変わってしまうというある種「おぞましい」光景を頭の中で想像して、桑田佳祐の「孤独の太陽」というアルバムに収録されている「貧乏ブルース」のフレーズが何故か頭の中から暫く離れなかった。

「アートが理屈を超えない世界 文化じゃ食えない貧乏ブルース」

 文化(理想)と産業(現実)のギャップを感じつつというか、こんな素晴らしいゴルフ場を訪れる機会を頂きながらもそのゴルフ場自体が消えつつある運命にあるという事実を突き付けられながら、それに対して何の力も持ち得ない自分の無力を実感しながらも、五島のゴルフ場を巡る旅はまだ続くのであった(つづく)。

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