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親って、私だけなのかな問題。

5日ぶりの休日。

アラームをかけずに、少し遅く起きる。いい天気だ。

目が覚めるように熱いシャワーを浴びる。さっぱりした。
さて、出かけるか。家族に行き先は言わない。気のむくままにふらりと車で出かける。

日が落ちた頃、好きな時間に帰って、テーブルの前に座れば、目の前に一汁三菜、贅沢ではないがあたたかい夕飯が並ぶ。子どもたちの楽しそうな声。

部屋に戻れば、明日着る仕事着が洗濯されて畳んである。吸い殻や菓子の袋で溢れそうだったゴミ箱もきれいになっている。

のんびりと風呂に入ったら部屋で少しスマホゲーム、明日も早いから寝ないとな。


やれやれ

あ、これ? 


うちの夫の生活です。

いいですね。私もそんな生活がしたいです。

私ですか? 休日?ないです。 平日は5時間、土日祝日は、立ち仕事を休憩なし6~7時間して、その後、節約を考えて夕飯の買い物して、調理して、出勤前に干しといた洗濯物畳んで、夕飯提供して、1人でぜんぶ片付けて明日の仕込みして、バイト休みの2日は在宅ワークしてます。

あ、もちろん、バイトの時や出かける時、帰る時間はちゃんと子どもたちにLINEで共有してますよ。親が今どこにいるかを把握できないっておかしいですものね、うん。


父親はしないのにね、うん。おもろ。


んでね。夕飯どきに、その父親ってかまあ私の夫ですが、に、言われたんです。

行き先も言わずにどこかに出かける御仁から。
「子供がダラダラしすぎだから、何かさせて」と。

はあ…何か……ええ、そうですね。確かにうちの子たちはのんびりやです。予定がなければ、家でダラダラしていることが多いですし、土日や長期休みには昼過ぎに起きてくることもよくあります。気づけばゲームや動画視聴に興じている感じなのも否めません。

そりゃ、まあ褒められた生活態度ではないですが……
うちの子たちは、知識欲は旺盛ですし、美術館や博物館に連れて行っても静かに美しいものを鑑賞できる、おだやかで良い子たちです。上の子などは、小学生の時でも自分が美しいと感じた仏像に自らのお小遣いで寄進をしたいというほどの美的感覚でしたし、2人とも絵を描けばクリエイティブな感性も鈍くないと思います。(めんどうくさがって描きませんが)学校の成績は中程度ながら、本を読めばちゃんと行間も読めます。

何よりも気持ちが優しい子たちです。自分より弱いものをいじめたりは絶対にせず、理不尽で嫌な目にあっても、その相手にやり返すという考えに至らないぐらい優しい子たちです。それほど優しいがゆえに、学校では気疲れするだろうから、家では遠慮なくくつろげばいいと私は考えてます。親として。

親…親ねえ。

なんで夫はいつも他人事のように言うのでしょう。

「何かさせて」この言い方、部外者感がすごい。お前はたまに現場に来る本社のスーパーバイザーかなんかか。

てかさ、わたし一人が親なの? と考えながらビール飲んでます。飲まないとやってられねぇわ、こんなの。

えっと、育児をしたことない人は知らないだろうけどね。

「なんか」って言われても困るんですよね。うちに有り余る資金があれば別ですが、夫の給料では家族が満足に食べられないから私が働いているのであって、お金は節約せざるを得ないわけです。

リーズナブルな「なんか」は簡単には見つかりませんよ、令和の世の中。つか、江戸時代の寺子屋や手習いだって、それなりのお月謝なり要ったと思うしさ。

あとね、私、クソほど忙しいんです。さっき言ったように、生活費をかせぐためにアルバイトで週5働いてるので。

で、バイトが休みの日も朝から子どもに節約弁当つくったり、送り迎えしたり、PCでちまちま仕事してるので、フルで休みの日って、ゼロなんですよ。あと家事全部やってます。ここ大事。

「ダラダラがよくない」というならば、土日、フルで休めるあなたも親なのですから、子供を早く起こして身支度を促し、散歩にでも連れて行って、勉強を見てやって、公園でスポーツをさせたりすればよくないですか……と思うのですが。

無理なんですよね。

なぜ? 子どもが断るからです。

さらになぜ? (ここで意地でも「なぁぜなぁぜ」を使いたくないおばさん、微妙にジジババにはやってきたコンテンツ、それはオワコンなんだ…)

それは夫が子どもたちが赤ちゃんの時から、育児にほぼ関わってないからです。自業自得ですね。信頼がない。

気まぐれな夫の思いつきで、公園に行こう!!と嫌がる子どもを無理やり連れ出した事も何度もありましたが、暑い中休憩もなしに走らせたり、自分はケイタイを見つつ子供に「遊んでてー」だったりでちっとも面白くないので、子どもたちは「パパとはお出かけ行きたくない」と言うようになってしまったわけです。

夫、ピンチです。子育てしてる風のムーブができなくなりました。お出かけの技が使えなくなったわけです。もうお菓子でつられる年齢でもないですし。

で。

夫は私に命令して、育児実績を作る方式に変更したようです。

気楽なものですね、妻に命令して育児した実績を作れるって。いや、実際は実績になんか一つもなってませんけどね。逆に私のムカつきメーターが溜まっていくのみですが。

語りますけど、語りますけどね。育児って、生活と同義というか、本当にままならない思いとか、しんどさとか、それ以上の喜びとか、そんなものを毎日少しずつ感じつつ、ある日「ああ、育ったなぁ」と自分と子どもの歩みを噛みしめる、そんなものだと私は思います。

そうなの、育児ってね。しつこくてごめんね。引退した後もやたらに来る部活のOB(しかも土産も持たずに来る大して好かれてないやつ)みたいに「オウ、やっとるか」と来てやるものではありません。

ほんまに積み重ね、積み重ねのクソ地味なものなんですよ。毎日、牛歩どころかアリの歩みほども進まないこともある。「あんなにがんばったのに」「どうしてこうなんだろう」と停滞、むしろ後退することもある。それが育児、いえ、子どもとともに生きること。私は子供と過ごすことで心を成長させていただいているのだ、育児するなどとは烏滸がましい……とこの十数年間実感しているんです。

で? 父親は?

「やっとるか」
「ちゃんとさせとけよ」
「で?俺何したらいいの?」

ですからね…。

最近、この夫と、夫婦という形を続けている意味はあるのか?と考えるようになってきたおばさんです。

夫婦であるということは、お互いに子供の親であるはずなのに、まるで私だけが親のような孤独感。

親であるということは、想像するよりずっとプレッシャーがかかります。できれば私は、それを夫婦2人で分かち合いたかった。一緒に悩んで、一緒に手を取って進みたかった。でも今となっては無理な話です(タイムマシンでもなければ)

今は、ひたすら耐えて時間がたち、子供たちが巣立つのをサポートするのが私の役目と達観しています。

下の子が巣立つまで、最短でも6年はかかるでしょう。それまで私の精神と肉体がもてばよいのですが。


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