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台詞のない物語が何故分かる? #10

台詞のない作品をお客さんはどうやって理解しているのだろうか。
・帽子が上手に被れない
・どうしても椅子に座れない
このような作品は、とてもシンプルなので深い洞察力を必要としない。
しかし、場面が変化し、時系列が並ぶようなストーリーとなると、話は複雑になってくる。

例えば「おふくろが亡くなって、もう随分経つな。」なんて台詞があったとする。演劇やコントならセリフ一行で背景を説明してしまえるので、一つのセリフを前提条件として物語を展開させる事が出来る。ところが、台詞のない舞台ではこの一行を伝えることが容易ではないのだ。動きや舞台の演出のみで、前提条件をどうやって伝えるのか。そもそもストーリー作品を作る上で、どこまで伝わっていればお客さんは物語を理解することが出来るのか。

本日は台詞のない作品で表現しておかなければならない前提条件を、5つの要素に分けて語ってみよう

前提条件を理解させる5つの要素

台詞のないストーリー作品で、物語の前提条件を理解させる為に必要な要素。それは以下のようになる。

・季節・時刻(いつ)
・場所(どこで)
・人物(誰が)
・目的(何を、なぜ)
・行動(どのように)


何となく王道のような項目だと感じる方もいるかもしれない。そう、小説だろうが漫画だろうが、ストーリー作品を作る上で必須な要素、これらがパントマイム作品においても前提条件を理解させる上での必須項目となるのだ。

しかし、これらが必須と言えど、台詞がないのだから前提条件を伝えることは簡単ではない。衣装も真っ黒、舞台上にも何もない空間だとしたら、どのように上記項目を理解させればよいのだろうか。

共通認識で場面を作る

台詞のない作品で場面を作っていく場合、それらは全てお客さんとの共通認識で通じ合わせていくことになる。前提条件を引き出すように構成するのだ。たとえば何もない舞台上にて

男が一人寒そうにしている。その仕草より季節が冬なのか、冷凍庫的な空間なのかなどを先ず想像する。そこから上を見上げ手をかざしたとしよう。そうすると先程の”寒い”という条件から、それは”雪”ではないかと想像できる。そこからとぼとぼと歩き出す男。この動作により”屋外”であることが分かる。不意にクンクンと鼻をならし、嬉しそうによだれを垂らし走り出す。壁のようなものを表現し、中を見つめる場面。そしてお腹を押さえながら、中の景色を羨ましそうにみている。ふと我に返り、肩を落としてその場に座り込む。

どうだろう。ここまでの流れでも随分と事前の設定が想像出来ないだろうか。季節が冬で、屋外で、お腹が減っている人。入って食事をしないということは貧乏なのだろうか。お金が無くて、外で寒そうにしていると言うことはホームレスなのか?お店があるということは町中だろうし、ホームレスがいる場所なのだから、都会なのかもしれない。などなど、台詞も舞台美術も無くても、表現がつながることで舞台上の景色が徐々に拡がっていくのだ。

この男が例えば、目の前に落ちている”ある物”にふと気づき、それを拾い上げ中身を確認し驚く。喜びと焦りを感じさせながら、それを懐に仕舞うが、良心が痛むのか元に戻すべきかと悩み始める。
という様な動作が入れば、所作から財布でも拾ったのではと伝える事が出来る。ここまで物語のお膳立てができれば、この前提条件を元にここから先を想像したり、また演者が裏切ってドンデン返しの展開にしたりも出来るわけだ。

・季節・時刻(いつ)→冬の寒い日に
・場所(どこで)→とある町中で
・人物(誰が)→お金のない男が
・目的(何を、なぜ)→財布を拾った事で悩み始め
・行動(どのように)→前提条件と共に物語が展開していく

5W1Hから物語が始まる

コメディや不条理作品であれば特に気にしなくてもよい部分だが、リアリティに沿った物語を演じる際には5W1Hを散りばめ、物語として想像を働かせるキッカケをつくる。すなわちWhen(いつ)、Who(だれが)、Where(どこで)、What(なにを)、Why(なぜ)、How(どのように)である

それを体系的に整理すると《季節・時刻(いつ)、場所(どこで)、人物(誰が)、目的(何を、なぜ)、行動(どのように)》である。目的という意味では同じなのでWhatとWhyは一つの項目にしている。これらが物語の中に入っていると理解が追いつく。そこからはその前提条件の中で物語の人物が目的に沿ってその時間を生きていく。設定が理解出来ているからこそ、情景が浮かび、感情移入出来るようになるのだ。しかし、これらの土台が無いと、何が起こっているのかがそもそも分からない。

最低でも【どこで、誰が、何を、どうした】というヒントがいる。ここが何処で、出てきた人物は誰で、何を目的とし、どうしてその行動をとるのか。これがない作品は物語の流れがつかめない。理解が及ばない作品は難しく感じ、難しいと面白く無いので傍観しだす。結果的にパントマイムって難しいね、面白くないね。という評価を頂くことになる。

説明ではなく感情で物語を綴る

最後に重要なポイントを一つ。
前提条件を伝えるという行為が説明になってはダメだ。前提条件を理解させる為の描写は、感情と物語の中でさり気なく出てくるべきであり、これみよがしにそこを表立たせてしまうと、それは説明になる。

以前書いた通り、説明はジェスチャーでありパントマイムではない。理解させるためだけの文脈を羅列しても面白くはない。

小説を思い浮かべてほしいが、例えば「寒くてお腹が減ったな。あっ!お店だ。いいな〜、おや?財布だ!ラッキー!、でも、持って行ったら、なんか悪いよな〜」という文章。箇条書きにされているので流れは理解出来るかもしれないが、一ミリも面白くはないだろう。

作品とはそれぞれの文脈に沿って景色を思い浮かべ、想起する描写が必要である。それはパントマイム作品も同様であり、決して説明ではない。

「両手をこすり合わせ、天を仰いだ。不意にぶつかりそうになりながら走り去る幼い男の子、母親らしき女性が嫌な目でこちらを睨みつける。こんな見た目じゃそう思われるのも仕方がない。」
このような描写を、台詞のない中でも演じるのだ。その姿から葛藤が見え、その人物の背景が想像出来た時、観ている人の胸を打つのだろう。

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