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演劇の中でのパントマイム #6

演劇作品の中でコップを持つことが出来るか?
小道具として実在していれば持つことが出来るが、パントマイムでとなると中々に難しく感じるのではないだろうか

演劇は虚構の世界だが、リアリティがないと冷めてしまう。
そのために演劇では舞台美術や小道具、衣装なども現実に沿ったものを用意するのだが、小劇場での演劇では様々な小道具をパントマイムで演じる事がよくある。

小劇場とは客席数100名以下くらいの劇場での公演をイメージしていただければと思うが。限られた予算や空間の中で展開することになるので、小道具を全て用意出来ないのは分かる話だ。しかし、気をつけなければならない。その時にパントマイムが雑だと途端に物語が虚構から嘘になってしまうのだ。

生み出した小道具はどこへ

自身がパントマイムの人だから厳しい目で見てるんだろう!という方もいるかもしれないが、そうではない。観るべきは物語なので細かいパントマイムの表現なんて重要ではないし、そこを厳しくチェックしている訳ではない。

技術的に上手かどうかは関係なく、作品として演者が気をつけなければならないのは、あまりに自身が生み出した小道具に無神経でいると、パントマイムによる表現が虚構から嘘になり現実に引き戻してしまうキッカケとなるということだ

例えば、自身が持っていたコップがいつの間にか消えていたり、熱々のラーメンの温度を無視して食べたり、その器を熱さを感じず平気で持っていたり、さっきまであったはずのテーブルの位置を何事もないように通過したり、などなど

自身で作り出した小道具を無視してしまうと、虚構の中で嘘をつかれるのだから、観ている人は違和感を感じるものだ。自分で生み出した小道具は責任をもって処理するべきだし。扱いが難しいものはやっぱりリアルに小道具を用意した方が良いだろう。

リアルに想像出来ているか

小道具を生み出す時は、その対象をリアルに想像出来ていなければならない。例えばコップであれば形状はいくつか種類がある。取っ手があるかないかでまず持ち方が変わるし、取っ手があるなら親指と人差し指、時には中指までを用いて取っ手をつまむ持ち方になる。また、それがマグカップかコーヒーカップかでもサイズは異なり重量も変わってくる。

取っ手がなければ湯呑みのような形状だったり、透明なグラスかもしれない。入っている中身によっては触る瞬間の温度の差、コップの上下の長さの違いもある。いずれにせよ、その造形をしっかり認識し、その対象となるものの形状が分かるように手を形作り、飲み方や温度、演じているシーンのシチュエーションによって生み出したものが何かをお客さんにも自然に伝わるようにしていかなければならない。

当たり前にやってる行動は出来ない

これらの表現は実際にその場にあれば誰もが当たり前のようにできる動作だ。しかし何もない空間で同じ動きをするのは難しいものだ。何故ならこれらの動作を人は普段無意識でやっているからだ。「さて、これから椅子を引いて腰をかけ、テーブルの上にあるコップを掴むぞ!」と考えながら動く人はいない。誰もが当たり前のように何も考えなくてもこの動作はいつの間にかできるようになっている。しかし無対象でそれらをしようとなると途端にどうやってその動きをしていたのかが分からなくなるのだ。

一番大切なことは自分自身がそれらをリアルに感じ見えているかである。訓練の必要なことだが、何もない空間にでも、自身がその空間に生きていれば、場所や大きさ、重さや温度、肌触りなどだって感じることができる。テクニック的に必要な要素は沢山あるが、その前に集中力をもって空間に、虚構の世界の中にリアルを創造することが物凄く大切だ。自分がそこに存在し、小道具一つ一つとっても創造出来ているならば、手に持っているものが突然消えたり、一度空間に生み出したものを見失うこともないだろう。

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