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私という刺繍糸であなたと人生を紡ぐ

私が自分の友人同士の気が合いそうだと思うとすぐ彼らで仲良くさせたがるのは、私よりもあなたに合う人がいるからその人とこの話をした方がいいという物凄く薄情な真意があったのかもしれない。最初は、どうしてこの人はこんなにも私と合うんだろうと強く惹かれて、惹かれた分素直にアプローチして仲良くなるのだけど、人間は本当に同じであることもなければどこまでもわかりあえることもないのに私はたぶんどこかで人と一体化したいとそう願っているし期待をしているから、そうはなれないと小さく幻滅した瞬間に線を引く。

人はどのようにして人と仲良くし続けるんだろう?私は誰かが私を好きでい続けてくれる感覚がいまいちわからない。私とでなければ過ごせない時間ってあるの?私でなくてもいいのでは?こんな薄情な私が唯一大事にできる感情が感謝。私は人生において重要な局面で熱心に自分を救ってくれた人に対する感謝だけは忘れない。彼らに危機が訪れたらば地獄の淵まで追いかけて手を差し伸べる。しかしそれは奇しくも私が恩を返したいという意思でしか人と繋がり続けられないことを表しているのだろうとさっき気づいたのである。それは悲しい現実だが私を好きだと言ってくれる友人ならきっと「あなたのそういうところが好き」だと言ってくれるかもしれない、ありがとう。私もあなたのそういうところが好きです。

まあ結局気が合う人のうちお互いのこの猜疑心とか不安とか自己評価の低さが大体同じくらいの人と月日重ねてお互い救い合って支え合ってるとそれはもう唯一無二の存在になってきて、私でなくてもいいのでは?なんて微塵も思わなくなるんだ。出逢いは大切ですね、何度人と離れても人と出逢って、何度断ち切れても戻りたくなったらば戻るくらいの柔軟性を持って、あなたはあなたという人として、私は私という人として、人と関わりそして共に生きてゆく。

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