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泣いていなくても

お久しぶりです。仕事を始めて、苦しい時もありながら、充実した日々を送っています。普通の人ってこんな感じなのかな?普通って何、と普段口酸っぱく言っている私ですが、何より私が私のことを、普通でないと思っているし、そのことが知られずにいたいと思っている。私の思う普通は、苦しいことや、嬉しいことがありながらも、壊れそうになることはなく、破滅的なことも考えず、何だかんだで充実している、そんな感じ。ずっとハッピーじゃなくていいんですよね。基本的にフラットで、でも感情がちゃんと動く、そんな感じ。皆さんは、自分の思う普通、つまり憧れる普通、みたいなもの、あったりしますか?

さて今回は、私が叔母の一言で救われた話をします。

私は、父が死ぬ前も、死んだ後も、けして母の前では泣きませんでした。それは母には涙を見せたくなかったからです。恥ずかしいし、悔しいから。それがどうやら、母には不思議だったようです。父方の叔母と、私の母と、父の納骨に行った時、母は叔母に「この子泣かないのよ、なんだか平気みたい」と言ったんです。
私はね、父が死ぬとわかったことで、父が死んだことで、私が守られていた世界がガタガタと崩れ落ちて、皮を剥がされたような生き地獄を味わったんです。私だけが苦しいと言いたいんじゃなく、一般化されたくない独特の苦しみだったということです。だけどね、母には知られたくなかったから、あの頃はいつも、母が寝たあと、自室のドアを締めて、悶えていたよ。当然母は知らないわけです。
だから私は少し笑って口をつぐんだ。そしたら叔母が、母に、厳しい顔でこう言ったんです。
「心はすごく泣いてるよ。泣いてなくたって、心は泣いてるんだよ」
私のことをほとんど知らないような叔母が、その時、誰よりも私の心を、掬い上げてくれた。叔母はきっとね、力に圧倒されてしまうことも、核たる何かを失って壊れるほど苦しいのも、それを表現できず強がるしかないことも、全部知ってたんだね。知ってたから、助けてはくれなかったし、それはそれで仕方がないことだと、心から思う。

だけど私が叔母のその一言に救われたことはこの上ない事実です。感謝を伝えるわけでもないけど、私はきっと忘れないと思う。

弱音を吐いていないからといって、何も感じてないわけじゃないし、泣いてなくたって、心は泣いている。多くの人にはわかられないとしても、知っている人はどこかにちゃんといるんだと、思います。

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