息子に寿司をご馳走になる日
今日はとある寿司屋に行きました。
今春就職したふたりの息子たちが、僕と奥さんを誘ってくれたのです。
初任給で奢ってくれる、というわけです。
なんとも嬉しいことでした。
「こんな日が来るとはなぁ‥」と思わず声が出ます。
食事が始まり、感慨深く味わっていると、
しばらくするとなぜだか、なんとも言えない寂しさが感じられたり、
これまで彼らに十分にしてやれなかったことや、若気の至りで傷つけてしまったことなどが思い出され、後悔の念が湧いてきたりしました。
人の気持ちというのはなんとも複雑なものです。
嬉しかったり、寂しかったり、後悔したり、そんな気持ちが行ったり来たり。
しばらくそんな交錯した感情を味わっていると、ある思いが湧いてきました。
僕は自分が思うような僕ではないし、
彼らは僕の思う彼らではない。
彼らは彼らの思う彼らではないし、
僕は彼らの思う僕ではない。
何言ってるかわかんないですね笑。
説明を試みます。
僕たちはお互いに、「相手&自分はこういう人物だ」と相手のイメージを持ち、セルフイメージを作ります。
そして、そのイメージをもとにそれぞれがドラマを作って感情が湧きます。
でもそれは、自分で生み出したイメージであり解釈です。
映画「マトリックス」のようなものです。
映画と違って、リアルな自分たちが「培養液に漬けられて電池として使われる人間」とは思いませんが。。
どちらかと言えばその逆で、リアルな自分たちは「いのち」とでも呼ぶような静かで安らかな普遍意識、というのが実感。(ここでは踏み込みませんが。。)
ともあれ、
複雑に湧く感情の原因であるドラマ。
そのドラマの原因である、互いが持つ、相手のイメージとセルフイメージ。
それらのイメージを超えた先にある、静けさや平安とも呼べる「なにか」。
その「なにか」に触れていたい、と思ったのでした。
こんな風に思考が展開したことで、
今日は親子という表面的な関係を一歩超えていく機会になったかもしれません。
今後、この関係になにか変化があるでしょうか?
われながら楽しみです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?