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両親に対するわだかまりをほぐしてみたら人との距離感が変わった件

前回は、両親に対するわだかまりの残骸を処理しようという話でした。


あの後すぐに取り組んでみました。

記憶をたどって幼少期に戻ってみると、自分の期待通りでない両親に苛立ちや悲しみを感じていたようです。絶望を感じていたこともありました。

結局のところ、両親は僕に、僕は両親に、と互いに期待をかけていたようです。
そしてお互いの期待は当人たちの望むものまたは沿えるものではなく、うまく噛み合っていなかったのでした。

それが窮屈な親子関係を生みだした原因でしょう。


でも、互いへの期待の裏側には愛情がありました。愛情が「こうありますように、こうなってほしい」と期待へと変換されたのでしょう。

もっと素直な愛情表現のやり取りがあればよかったのですが、昭和の家族です。
父親の口癖は「男は黙ってサッポロビール」。
両親から「人間、褒めたら甘えて駄目になる」とも聞いた記憶があります。
そこに素直な愛情表現はなく、期待をかけることがその代替になっていました。

話を戻しますが、裏には愛情がありました。

僕の望むカタチではなかったですが、両親が愛情を注いでくれたのは当時から実感していました。
そして子供の僕も両親のことを愛していたのを覚えています。だからどれだけしんどくても期待に沿おうと頑張ってしまったのでした。

そして、期待を掛け合ううちに、望んだカタチが得られないことにどんどん焦点が当たっていきました。そして期待が裏切られたように感じてしまい、期待を生み出したそもそもの愛情にはすっかり目が行かなくなっていたのでした。


そこで、いったん噛み合わなかった期待のことは忘れ、そもそも期待を生み出した愛情の方に焦点を当てて感じてみました。すると胸の奥や喉の奥にあった固い塊がほぐれたような感覚がありました。残骸の一部が解消されたようです。


すると面白いものです。
不信のヴェールが一枚はがれたようで、翌日買い物に行った時、道行く人やお店の人への距離が近くなった感じがありました。

これまでだって別に不信感を感じていたわけではなく、それどころか安心して暮らしていると思っていたので、この変化は面白いものでした。
「あぁ、まだまだ人との距離感って変わるんだな…」となんとも嬉しくなりました。

また、現在の家族に対しても「どうせ言っても伝わらないだろうな…」という感覚があったようですが、それがヴェール一枚分くらいなくなって、自然に、伝わる前提の気持ちが生まれていました。まだ数日ですが、家族に説明するときの言葉数が減ったことから実感しています。

おもしろいのでこの残骸除去、しばらく続けてみようと思います。


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