見出し画像

お前は無価値で力がないダメ人間だ

お前は無価値で力がないダメ人間だ

なんとも刺激的な言葉です。

今朝、こころの奥深くから出てきた言葉でした。

しかもこれ自分に言ってるんですよね。。
ここのところすっかり忘れてましたが、実は馴染み深い言葉でした。


つい先日、あるセミナーでの話しをきっかけに、
頑張りすぎていた幼少期の自分を思い出したことがありました。

それから2日ほど経った今朝、
頭の中でタイトルの言葉がうろうろしていたのでした。


お前は無価値で力がないダメ人間だ

思い起こせばこの言葉は、
小学生の頃、自分で自分にかけていた言葉でした。

なぜこんな呪いのようなひどい言葉がけをしていたかというと、

小学生後半の頃、
僕は中学受験のために受験勉強をしていました。

勉強は、当初そんなに嫌いでなかったのですが、
毎日毎日机に向かわせられ、テレビや遊びを制限され、

塾にも行くようになると、全く遊べなくなり、
ほどなく大嫌いになりました。

大嫌いな勉強だけど、
親の期待に沿いたいのと、
言う事聞かないときの不機嫌をぶつけられるのが嫌で、

自分に無理強いして、
身体を机に向かわせていたものでした。

その時に、
自分に言い聞かせていたのが、さきの言葉でした。


あまりに勉強が嫌すぎて、
ここまで自己否定しないと、
自分の意に反して机に向かうことができなかったんだと思います。

「このままの自分じゃダメだから、意に反していようがやるしかない。」と反動を使ってモチベーションにしていたんだと思います。
そうでもしないとやりたくない勉強は続けられなかったのでした。

振り返ってみれば、社会人になってからも、
「24時間働けますか?」と自分に残業を強いていた時代は、
同じやり方で自分に鞭打ってた気もします。

今の時代ならハラスメントですね。
自分で言ってるんでしょうがないですけど。。


もうすっかり忘れていましたが、
なんとも言えない、深い悲しみが湧いてきました。
子供の時分だからなおさらです。

そんなことで、
今日は心のなかで、
小学生の自分をいたわっています。
そして潰れなかった自分を褒めながら過ごしています。


癒やしや自由、自分らしさ、
そして自己肯定。

こうしたことを大切な価値観と思うようになったのも、
人がメンタルをいい状態に保つことを仕事にしようと思ったのも、
こうした原体験のおかげかもしれません。


家庭環境や時代の影響でできた心の歪みは
解消できるし、

解消することを通して、
心や人間への理解が進みます。

そして、その経験や理解を
ポジティブに活かしたり、
それを使って人の役に立つこともできる。

まさに、禍福は糾(あざな)える縄の如し。


無価値で力がないダメ人間と言い聞かせていたことが、
価値提供の原体験になるのだから、人生とは面白いものです。

これからも人の役に立てるよう様々なサービスを
提案、提供していきたいと思います。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?