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MOTコレクション 歩く、赴く、移動する (中編)

東京都現代美術館のMOTコレクション展のレポート中編です。
※前編で書いたように、ガイドさんの案内で回っています。本レポートではその一部を取り出して書いています。


清澄白河を歩く


つづいてやってきたのは、「清澄白河を歩く」。
深川、木場、清澄白河といった、美術館が建つ周辺地域を歩いた作家たちに光を当てています。

  • 中野淳

  • クサナギシンペイ

  • 光島貴之

  • 麻生知子・武内明子(ワタリドリ計画)

ご近所で何度も遊びに来ている清澄白河にまつわる作品たちに、とても親近感を覚えました。

中野淳《[下町スケッチ]》1975
美術館HPより引用


川沿いの風景。建物や見た目はもう変わってしまっているのですが、用水用の橋など、今も機構として残っている部分ってありますよね。このように、水のある景色には時が移っても何かしら共通する部分があり、それが既視感→なつかしさや共感として立ち現れるんじゃないかなとおもいます。

 ワタリドリ計画のお二人の作品。軽やかで、でも落ち着いていて。一緒に旅をしている気分が味わえます。めちゃくちゃホテルに泊まりたくなりました…!(このあと清洲橋に行っちゃいました)

クサナギシンペイ《荒野へ》2017
美術館HPより引用

今回の展覧会のお気に入り作品の1つ。

「(前略)クサナギシンペイ(1973-)は、清澄白河周辺を舞台とした宮本輝の昭悦の挿絵を手掛けたことをきっかけに、「清澄白河」が2000年になってつくられた新しい駅名で、町名としては存在しないことを知りました。絵画とはこの駅名のように、「現実と非現実の間にまたがる、名実ともに半透明の中間領域」なのではないかー(後略)」

展覧会パンフレットより

江東区は、とにかく川(と橋)が多いんです。私はそれを日々見ているので、一瞥したときに、この絵が水辺や橋のように見えました。他の人にはどう映るんだろう。
あと気になったのは、クサナギさんは、なぜこの絵のタイトルを「荒野へ」としたのだろう?ということ。「半透明の中間領域」は「荒野」である、となんですよね。荒れた野…。どんなものを見たのだろう。

そのほか、光島貴之さんの手で触れる作品「ハンゾウモン線・清澄白河から美術館へ」も冒険だったなあ。目をつぶって触るんです。これはぜひ他の方にも体験してほしい。ダイアローグ・イン・ザ・ダークに行きたくなった。

世界を歩き、移動する

続いては、1960-1970年代および現代において、世界を旅しながら制作する作家たちの作品が紹介されています。

石川直樹《THE VOID》より

石川直樹さんは写真集を持っていました。人がかつていた地に赴き、足跡を伝えてくれる写真家です。
写真の力ってすごいですね。見た瞬間「これはなんだと思う?」と問いかけてくるような、そんな気がしました。

さて、レポートは次で最後です。

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