出会い こま姫と月光丸

世は平安時代末期。
日の本の国は、きらびやかな貴族たち中心の政から、武士たち中心の政へと移り変わろうとしている。そしてこの時代には、人ならざるモノが存在しており、人々の生活を脅かしていた。

「こま姫様、あまり奥へ行かれては困ります」
「奥って言っても屋敷のすぐ裏よ、千代。そんなに心配なら先に戻ってもいいのよ?」
「そんなこと出来ませぬ!どんなときでも姫様のお側に仕えることが千代の役目でございます!」
「ふふ…なら、心してついて来なさいね」
「まぁ…!?」

こまは、自分に仕える千代の制止の声など軽くあしらいながら自分が住む屋敷の裏の山奥へ進んでいく。いつも使う薬草や食事に使う山菜を取りに行くためだった。
こまは姫様と呼ばれている通り、父は都の朝廷にて右大臣を勤めている貴族の娘だ。普通の姫なら、都の屋敷で花を生けたり、お香を嗜んだり、貴族内で流行っている物語やらを読んで優雅に過ごしているものだが、こまは実父に疎まれていたこともあり、都から離れたこの山奥の屋敷で過ごしている。
尤も、こま自身は都での生活より今の生活の方が性に合っているため、苦ではなく、むしろ楽しんでる。

「しかしこま姫様、あまり山奥へ行きますと妖(あやかし)が現れたら私、太刀打ち出来ませぬ!」
「妖の気配なら私が直ぐ感じとれるから危うそうならすぐに離れればいい。それに、あの者たちも決して悪い者ばかりなわけではないのだ、千代。…それに、私は妖よりも人の方が恐ろしいと思うけれど」
「こま姫様、またそのようなご冗談を…」

千代はこまの言葉に苦笑しながら話を流したが、こまが本当にそう思っていることは察しがつく。実の父によって、こまは幼い頃から都で人の黒い部分ばかり見せられながら過ごしたのだから。
そんなこまに同情している千代のことなど露知らず、こまは悶々と妖について考えていた。

妖。魔物や物の怪などとも呼ばれる、人ならざるモノ。人を襲い、脅かすもの。普通の人では彼等を祓うどころか気配を察することすら出来ず、陰陽師や法師、巫女が相手になり祈祷や法力などで倒せるが、それ以上に妖が強ければ例え陰陽師であろうとただの人に等しく、殺されてしまう。

都は人が集中しているが故に、妖たちに襲われることも多く、戦と相まって、今の都はかつてのような華やかな雰囲気とは打ってかわって荒れ果てているのだと噂には聞く。
都を12のときに離れて、早3年が経った。私が知っている都とは大きく変わってしまっていることだろう。
そんなことを考えていると、ぽつぽつと空から雨が降り始めた。

「こま姫様、向こうの大きな木にて雨宿り致しましょう。足元が滑りやすくなっておりますので、お気をつけて」
「千代、ありがとう」

二人で雨宿りするため、大きな木の下まで小走りをする。通り雨のようだからすぐに止むだろう。

「こま姫様、寒くございませんか?」
「大事ない」

二人で降り続く雨を眺めていると、奥からガサガサと何かいる音がした。こんな山奥にまず人はいないだろう。…こまにはすぐにそれが何なのか感じとることが出来た。

…間違いない、この気配は妖だ。不思議と悪い気は感じないが、物凄く強い気を感じる。念のため見ておいた方がいい。

「…こま姫様、雨も強まりそうですし、やはり早く屋敷へ戻りましょう」
「…千代、そなた一人で先に屋敷へ戻りなさい」
「姫様、一体何を…」
「少し気になることがあるから様子を見てくるわ」
「行ってはなりませぬ、姫様!!」

千代はこまの羽織りを掴んで、止めようとするが、こまはその羽織りをするりと脱ぎ捨てた。千代の手にはこまの羽織りのみ残った。

「その羽織りを被れば少しは雨も防げるでしょう?すぐに戻るから心配しないで」
「なっ…姫様!」

こまを呼び止める千代の声が響き渡るも、こまはそれを振り切って気配がした方へ一人駆けて行った。

「確かこの辺りからだと思ったのだけれど…」

気配がした方へ進んでみたものの、なかなかその気配の正体までたどり着けない。向こうもこちらの気配しばらくあまり奥へ進むと帰りが遅くなり千代に心配かけてしまうことになる。そろそろ戻ろうとしたそのとき、先ほど感じとった気配が背後からした。

気配の方へ、草花を掻き分け、少しずつ歩み寄れば、一人の男が大木に寄りかかって目を閉ざしていた。どうやら気を失っているようだ。
この者の気配に間違いない。…今まで感じ取ったことがない、大きく強い圧倒的な妖気。普通なら危ないと思い、離れなければならないのだが、どうしてだか、こまは足に根っ子でも生えたのかと思うくらい足を動かすことが出来ず、眠りについている目の前の男から目が離せなかった。

綺麗な銀色の長髪。目は閉じているが端麗な顔つきであることがわかる。そして、人とは違う、長く鋭き爪。ツンと先が尖った耳。
…美しい。男の外見もだが、男の纏う雰囲気、全てが綺麗だと思った。
少しの間、男の存在感に魅了されていた
が、男から鉄の匂いがし、男の体を見れば、衣服にはあちこち血が滲んでいる。こまはおそるおそるも男へ歩み寄った。

「そなた…怪我を負っているの?…あちこち血が滲んでいるようだけれど……あ、これは…酷い傷…」

男の腹に大きな傷があるようで、そこから真っ赤な血が流れている。…何かに深く斬られたようで、直ぐに止血し、手当てしなければならなそうだ。

「…起きよ!このようなところで寝ている場合ではない!」

気を失っている男の体を、こまは大きく声を上げて起こす。すると閉ざされていた男の目蓋がうっすらと開いた。

「…ん…」
「まだ息はあるようね…もう少し頑張って。このすぐ近くに私の屋敷があるから、そこで手当てを致しましょう」

こまは自分が身に付けていた着物の袖を破り、出血しているところへ当てて固定する。…この深手には気休めにしかならないが、何もやらないよりはマシだと思う。男の腕を自分の肩に回して、支えながらゆっくり立ち上がる。…見た目よりも重い男の体に、少し動いただけで耐えきれず倒れ込んでしまいそうだ。

「……お前…人間か…?何故、俺を助けようとする…?お前は、俺が違うモノだと気付いているのだろう…?」

男は意識朦朧としつつも、口を開き、こまへ問い掛けた。
そう、気付いている。男が人間ではないことを。世間では忌み嫌われ、恐れられている存在であることを。祓わねばならない存在だと言うことを。むしろこのまま見捨ててしまえば勝手に死んでくれるだろうと。
こまはちゃんと見抜き、理解している。
でも、こまは目の前の傷を負っているこの男を見捨てることは出来なかった。

「…困っている者を見つけたら、それが誰であろうと助けるものよ。そなたが何者なのかは、今は大したことではない」
「…変わった奴だな、お前…」
「もう話してはならぬ。傷口に響くから…」

男に口を閉ざすよう声をかけて、雨でぬかるむ地面に耐えながら歩みを進める。男は自力で歩もうとしてはいるもののその体は重く、小柄なこまにずっしりと乗り掛かる。
屋敷からそこまで遠くなくてよかった。

千鳥足になりながらも何とか屋敷までたどり着くと、早々に千代が出迎えに出てきた。

「こま姫様!!どうしたのです!?そのような姿…その者は一体?しかも」
「細かい説明は後よ。この者怪我を負っているの。怪我の手当ての用意をお願い…」
「…畏まりました」
「佐助、佐助は居る?」

こまは自分の従者で草の者である佐助の名を呼ぶ。こまの呼ぶ声に、呼ばれた男、佐助はすぐに出てきた。

「話は聞いてましたぜ、姫さん。まずはこの男を奥へ運びましょう」
「ありがとう」

こまと入れ替わり、佐助が男をしっかりと担ぎ、奥の部屋へ運んでいく。その後をこまはついていった。

「佐助、その者は助かりそうか?」
「どうでしょう…俺は医者ではないんでこればかりは何とも。見る限り傷が深いんでね。それにこの者、見る限り人ではないのでどこまでやれるかはわかりませんね」
「…!…そうか」

草の者である佐助にはすぐにこの者が何者なのかわかったようだ。

「でも、やれるだけのことはやってみますよ。少々荒療治になるやもしれませんがね」
「…悪いが、頼む」

その後は、佐助によって男の手当てが始まった。医者ではないが、草の者はいざというときのためにこういった応急処置の方法や薬草の知識などに豊富だ。
傷口を清めたり、怪我に効く薬草を潰して傷口に塗ったり、千代に姫君がすることではないと止められたが、こまはその声に耳を傾けずに男のそばにいて、看病をし続けた。
夜は流石に、輿入れ前の姫が殿方の寝屋にいるのはいけないと散々千代に小言を言われたので離れたが、それ以外は男の傍へ寄り添った。
男と出会ってから三日後、男はようやく目を覚まし意識を取り戻した。

「……ここは…」
「そなた、ようやく目を覚ましたか…!なかなか覚まさぬから心配していたのだ」
「お前…」
「初め、傷口の方は深手だったが…凄まじい回復力で今はもう塞がっておる。そなたは丈夫な体をしているのだな」

…そうなのだ、こまと出会ったときはそれこそ生死をさ迷うかもしれない深手だったのが、日に日に出血も止まり、傷口も塞がっていった。それも妖だからなのだろう。

「お前、俺が怖くないのか?」

男が問う。こまの行動が信じられないようだ。閉ざされたままだった切れ長の瞳は綺麗な金色をしている。

「俺は妖だ。人間どもを喰らい、襲う存在だ…なのに何故お前は俺を恐れぬ?何故人間の敵でもある俺を助けたのだ?」

男は金色の眼差しをこまへ向けており、こまはその瞳が美しいと思った。そして、その男の瞳を見返しながらゆっくりと口を開いた。

「…困っている者を助けることに、理由などいらぬだろう?」

その思いに偽りはない。ただそれだけだった。無我夢中だった。
こまの言葉に、男は目を丸めている。人と妖は相容れぬものと言うことが当たり前の世の中なのに、こまはそんな常識に囚われずに、己の気持ちを第一にしている。男は衝撃的であった。

「…やはりお前は、変な人間だな」

そう呟いた男は、こまに対して警戒心を解いたらしく、少し微笑んでいるようにも見えた。

「…世話になったな、人間の娘」
「…こま。それが私の名よ」
「こま、か。俺の名は月光丸(げっこうまる)だ」
「月光丸…何だか綺麗な名前ね。…ああ、そうそう、そなた、この三日間飲まず食わずだったからお腹が空いているでしょう?今食事を用意させるわ。ここは都ではないため、豪華なものではないけれど…」
「面倒をかける」
「大したことではないわ。少し待っていてね」

月光丸の休む部屋を後にして、食事を用意させに炊事場へ向かう。
気が付いてよかった。佐助の煎じた薬が効いたようだ。…人より回復力凄まじいから驚いたが、そのおかげもあって助かったのだろう、よかった。

「姫様、このようなところへどうなさいましたか?」
「千代…客人が目を覚ました故、食事を用意してくれぬか?」
「畏まりました……しかし姫様、いつまであのような妖怪をここへ置いておくつもりですか?」
「そう毛嫌いするな…あの者の傷が全快するまでの間だ」
「…はい」

不服そうな表情を浮かべる千代に申し訳なく思いながら、こまは自室へと戻ったのだった。

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