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本当の「悪」に出会った話inラーメン屋

 ちょっと考えてほしい。一般的に「悪」とはどういうことだろうか?これは非常に難しい論題であり、ひとたび悪の定義を決定してしまえば、その定義から少しでも外れるものは悪ではない=倫理的に問題がないと認定することと同じであり、その瞬間それを許す選択肢を選ばざるをえない可能性すら発生する。だからこそ、「悪」の定義づけを行うのではなく、ひとつひとつのケースに関して、それが悪なのか否か、じっくり吟味する必要があると思うのだ。それ故に、誰かひとりの主観で「悪」を断定することは難しく、複数人での話し合いや過去の事例の参照、事前に設定された大原則に照らし合わせて、慎重にそれが「悪」かどうかを判断しなければならない。しかし、しかしだ、僕がこの前ラーメン屋で出会った男は、例外的にそのような複雑なプロセスを設ける必要すらなく、正真正銘本物の「悪」であった。今日は、その許しがたい人物に関しての記憶を記録として残したいと思う。



 4月の頭、午後8時半過ぎ。急につけ麵を食べたくなった僕は徒歩1時間かけて山の上にあるラーメン屋まで行き、麺2.5倍ニンニクマシマシの食券を握りしめて、店の外に並んでいるらしい金髪カップルの後ろに並んでいた。週末夜のラーメン屋は書き入れどきだったらしく、店の席は満員御礼のようで、僕は花冷えの中での長期戦を覚悟していた。
 しかし、どうやらその覚悟は杞憂だったらしく、すぐに金髪カップルは若めの店員に案内されて店内に吸い込まれていった。その若めの店員(ラーメン屋の店員のテンプレート通りに頭に鉢巻を巻いていたので、以後その店員をハチマキと呼称する)は、一瞬僕の方を一瞥していたから、僕のことを金髪カップルの息子なのでは?と思っていたのかもしれない。当然ながら僕は彼らの息子ではないので彼らに同行するわけにはいかない。しかし、金髪’sが席に案内されたことでわかったことがある。どうやら店内には、2∼3人掛けの案内待ちのベンチのようなものがあり、そこで順番待ちをしておいても良さそうなのだ。これはラッキー。人生ゲームで一気に2マス進んだような感覚だ。僕は手の中の麺2.5倍ニンニクマシマシつけ麵の食券の感触を確認しながらそのベンチに腰掛けた。 

 しかし、ここで予想外のことが。金髪’sが案内されたときぐらいに食券を買っていたジージャンの青年(以後ジージャン)がベンチに座る僕の目の前をスタスタと歩いて行ったのだ。「あれ?順番待ちは?」と一瞬眉を顰めたが、彼は席に着かず、ベンチの隣にある扉を開けて入っていった。どうやらそこはトイレのようで、何のことは無い、彼は僕の順番を抜かしたわけではなく、ただ用を足しただけらしかった。僕は一瞬疑ってしまったジージャンに心の中で詫びを入れつつ、1時間歩いた自分の足を労うようにマッサージをしながら、今か今かとハチマキが僕に声をかけるのを待っていた。

 ハチマキを待つこと数分、ジージャンがトイレから出てきた。時間的に彼の用はどうやら小の方だったらしい。ジージャンはベンチに座る僕の横に歩いて寄ってきた。その時である。待ちに待ったハチマキが僕の方へ歩み寄ってきた。店内に目をやると1人分のカウンター席の準備が整ったようだった。やっと麺2.5倍ニンニクマシマシのつけ麵が食える。ハチマキに食券を渡して席に着けば数分もせず、相撲部屋の晩飯みたいな量のつけ麵を出してくれるはずだ。そう思って僕が食券を差し出そうとしたとき、予想外のことが起こった。何故かハチマキが僕とジージャンの間でキョロキョロしているのだ。どうやら彼は、ベンチに座っている僕と立ち上がっているジージャンのどちらが先に食券を買った客=先に通す客か判断しかねているようだった。あれ、さっき目があったよね?と思いながらも、僕は慌てていなかった。たとえハチマキが順番を失念していたとしても、僕とジージャンは互いにどちらが先か確実にわかっているからだ。だから、ジージャンが首を横に振るor僕を指さすor何もしないというアクションを取り、その傍らで僕が立ち上がり食券をハチマキに突き出せば、それで3人の間で100%完璧な意思疎通ができるはずだ。はずだ。はずだった。

 しかし、こともあろうにジージャンは、自分の手の中の食券をハチマキに差し出したのだ。

 一瞬、何が起きたのか理解できなかった。何故ジージャンが食券を出している?何故ハチマキはそれを受け取っている?何故僕より先にジージャンが席に座っている?何もわからなかった。でも何度か瞬きをして、やっと「今、自分は順番を抜かされたのだ」と認識することができた。それと同時にとてつもない怒りが腹の中に溢れかえった。ジージャンに対してのとてつもない怒り。ハチマキに差し出したその手の角度をほんの少し変えて僕のほうを指し示せば、全ては問題なく進んでいたのに。何も間違わずこのパズルは完成していたのに。本当に許せない。「自分、学生時代は野球に打ち込んでいたっス!」みたいな髪型と見た目をしているくせに、その内にはスポーツマンシップに語られる正々堂々さとかそういうものは存在していなかったのである。これを悪と言わずに何といおうか?僕がそのとき微かに震えていたのは、寒さのせいだけではないと思う。

 ジージャンから遅れて数分、席に案内された僕は、本来ならもう少し早く来るはずだったつけ麵を待ちながら考えていた。本音を言えば、ジージャンの案内が確定した瞬間に、金切り声を挙げながらジージャンの裾とハチマキの鉢巻をひっつかんで大暴れしてやりたかったのだが、そんなことをすれば、僕はたちまち屈強なラーメン屋の店員に取り押さえられ、チャーシューみたいにグルグル巻きにされて、駆け付けた警察官に引き渡されてしまうだろう。そうなってしまえば、明日の夕方6時のローカルニュースの主役は僕に決まりだ。いくらなんでもそれは避けたい。だからこそ、思考を巡らせる必要があるのだ。なぜジージャンはあんな蛮行に及んだのか。それを突き止めることで、今後同様のケースに対して、適切な事前対策と事後対策を取れるはずである。では考えてみよう。

 なぜジージャンは僕の順番を抜かしたのだろうか?人としての最低限のマナーすら遵守できないほどに空腹だったのだろうか?いやいや、そんなヤツはわざわざ混んでいるラーメン屋を訪れることはない。じゃあ、初対面の僕のことがどういうわけか気に食わず嫌がらせのつもりで僕の順番に割り込んだのだろうか?もしくは、いかにも軟弱といった見た目の僕を見て「こいつなら抜かしても大丈夫だべ」と余裕をコいていたのか?はたまた、そもそも順番という概念を知らずに生きてきたのだろうか?結局はどれだけ考えても原因なんぞはわからない。わからないが、思いつく限りどんな原因だとしても、誰も彼を擁護することはできないだろう。咄嗟に「いや、お前食券買ったの僕より後じゃん」とたしなめれば良かったのだろうが、今回のような事件の被害者となる人間は、件のジージャンのようなとんでもない暴挙に出る恐ろしい人間に対して強く注意するなんて真似ができるはずもない。これは落雷や隕石の衝突のような不可避の性質を持つただただ理不尽な世界の暴力であり、天災を裁く法律が無いのと同じように、現行法ではどうすることもできない「悪」なのである。つまり、僕達にできることは、目の前で起こった事態にただ驚き、ただ呆れ、ただ絶望するしかないのだ。

 つまり、これが「本当の悪」ということなのである。擁護や理解の余地が一切ないが、圧倒的な力やスピード感などによって、その行為を咎められるのを永遠に先延ばしにしたり、ありえない構造の理屈で正当化したり、もしくは悪行そのものを一瞬で過去のものとしてしまう存在。

 もちろん、悪の形というのは色々ある。純粋に人を傷つけることを目的としている人もいれば、自覚なくそれを行ってしまう人もいる。自分の利益を優先させるあまり、結果的に周囲の人に不利益を押し付けてしまうケースもある。あの忌々しいジージャンがどのタイプだったのか、結局はっきりとはわからなかったが、僕は絶対に彼を許すことは無いと思う。だって、彼の行動は、今後の僕の生活に暗い影を落としたのだ。一見平和な僕達の町に平気で順番を抜かす彼のような悪党が潜んでいる。まるでゴッサムシティだ。たまったもんじゃない。これから僕は、ラーメン屋に立ち寄るたびにヤツのジージャンを探し、つけ麵を見るたびにあのどうしようもない屈辱を思い出すのだ。そして毎晩、いつの日かジージャンに天罰(具体的にはメチャクチャな人数のド厚かましい団体客に順番を抜かされるような)が下るのを祈りながら歯ぎしりをして眠るのだ。だって、それが僕にできる「本当の悪」に対する唯一かつせめてものささやかな対抗手段なのだから。

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