地球時代と平和への思想

私は史学科の学生である。だから高校の日本史の教員とともに中学校の社会科の教員も目指している。歴史分野は得意で、専攻に選ぶくらいには興味があるのだが、地理や公民は歴史と比べたら正直なところ、あまり興味が湧かなかった。さらに、受験科目でもなかったので知識は浅かった。しかし、この本を読んで社会科教員を目指す者がこのままではいけないと思った。

教育の本来の目的とはなんだろうか。

多くの人は生徒の成長のために行われる。そう答えるだろう。生徒にとって学校とは家庭と並んでそれが世界のすべてであることが多い。そんな世界で経験することは彼らがどんな大人になるかを決定するのに大きく関わっていくだろう。だが、教育の力はそこだけでは終わらない。社会に出た彼らはその後の社会をつくっていく存在となる。学校でより学んだ生徒はよりよい社会をつくる担い手となる。つまり、社会を変えるには、教育を変えなくてはいけないからであり、教育を変えるには教員が変わらなくてはいけないのだ。

この本の作者は軍国少年だったという。それが今では憲法9条を擁護する本を書くようになった。彼に何があったのか。

1945年8月15日の終戦のショックも大きいだろう。だが、もう一つある。大学時代に学んだことも影響している。彼は大学で日本のナショナリズムとファシズムについて研究している。やはり、人格を変えるのは教育なのだ。彼も実際に本の中で子どもが未来をつくっていくわけだから、教育は重要だと述べている。

私は平和な社会が続きますようにと願っていた。ただ、願っているだけで何もしなかった。正確には何もできなかった。何かをするには幼すぎたのである。選挙権もない子どもだったからである。強いて言うならば、唯一できたと言ってもいいことはそれも、教育を受けることだろう。平和を願う心が自然とあるのは紛れもなく12年間の教育のおかげだ。

小学校低学年の頃から社会の授業や国語の授業、また道徳の授業で戦争の残酷さや平和の素晴らしさ、有難さについて学ばされてきた。今度は私が未来の学生に学びを与える番である。中学生の時、国語の年配の先生が言っていたことがある。「戦争が終わってずいぶん時が経ちました。何が怖いかというと戦争を知っている世代がいなくなって戦争の恐ろしさを知らない世代しかいなくなるというところです。」戦争を知っている世代が亡くなるのは避けられないことだ。しかし戦争の怖さを知らない人だらけになるというのは避けることができる。

なぜか。教育があるからだ。教育がある限り社会は変わることができる。現在集団的自衛権が認められ日本は戦争に介入することも可能になってしまった。それも、国民の声も聞かずに。本当に今の日本は平和主義を掲げていると言えるだろうか。憲法9条は機能しているだろうか。昔、公民の授業で感じた疑問がこの本を読んでより強くなった。私が将来教員になるときにはもしかすると憲法9条は変わっているかもしれない。もっと戦争に近づいているかもしれない。でも、私は二度と子どもたちが、日本が間違った道を選ばないために平和に基づく教育をしていきたいと思う。私もまた、この本に教育されたのである。

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