若い教師への手紙



この本は語り手である「わたし」が学校現場で苦悩を抱えている若い教師一人ひとりに手紙を書く話が24章入っている。

 第1章を読んで、私は非行生徒と高校生の頃の自分を重ねてしまった。そして語り手の「わたし」が新任教員の「丸山君」に諭していることは間違っていないと感じた。

  私は決して暴力事件を起こしたり夜に街で暴れていたわけではない。だが、人間関係のトラブルがきっかけで学校に行きづらくなってしまった。人に囲まれて授業もホームルームも体育祭も楽しんでいる学校のみんなの事も、それに対して素直になれずに心を閉ざしてしまう自分の事も嫌いで仕方なかった。学校のことを考えると朝起きれなくなり休むことはもちろん、学校についても心が持たなくなり途中で帰ってしまうこともあった。また、当時受験生であった私は学校に行くことで精一杯で進学校に通っていたのにも関わらず、受験勉強を一切していなかった。


周りからしてみればある意味非行生徒のように見えただろう。両親も先生方もメンタルクリニックの先生も数少ない友達も皆心配していたし、中には心の底で呆れていた人もいたかもしれない。そんな状況でも私は私なりに頑張っていたのだ。この状況を変えたいと思っていたのだ。本当は真面目に授業を受けて、友達とお昼を食べて、受験勉強を頑張りたかった。

 そんな状況が夏休み前まで続いていたが、やがて私は勉強の面白さに気づき受験勉強に打ち込めるようになり、授業を聞くために学校に毎日通い、友達とも「早く受験終わらして遊ぼう」と励ましあっていた。私は自分が過去に憧れていた、学校のみんなのような生活を送れるようになったのだ。

 私がこうした生活を送れるようになったのは周りの人達の支えが必要不可欠だったに違いない。周りの人達は私がまた学校に笑っていけるようにたくさんの努力をしてくれた。それは自分勝手なおせっかいじゃなくて、私の心を理解しようと努め、私のこれからの可能性を私に気づかせようとするものだった。そうしてくれた人たちの中には担任の先生もいる。私があまりにも学校に行かなさすぎるので両親はよく学校に電話していた。私はよく学校で何人かの先生と教育相談をしていた。先生方の中には4年で卒業することや高卒認定試験を受けることを勧めるもいた。でも本当は、中学生の自分が憧れた高校を3年間で卒業したいと私は思っていた。担任の先生は私のその気持ちを汲み取り、私によく声をかけて相談に乗ってくれたり、他の先生に交渉して単位が取れるように交渉してくれたりした。本当に感謝してもしきれない。

 私は教師になりたい。ただ授業やホームルームなどの業務を行うだけでなく、生徒が辛い時に誰よりも生徒の味方になれるような教師になりたい。今回読んだ章の最後には丸山君に向けてこんな言葉があった。“君は自分のなかに閉じこもって悩むのではなく、生徒の悩みのなかで悩むことが必要なのではないでしょうか”。教師はよく生徒のことを思うあまりに本当の気持ちが汲み取れず生徒からしてみれば「おせっかい」とも思われてしまう行動をとってしまうことがある。確かに生徒の気持ちを完全に理解することは不可能だ。しかし気持ちを知ろうと努力し、寄り添うことは不可能ではない。生徒が辛いとき、本当に求めているのはそれができる教師だと考える。私はこの気持ちを忘れずに自分の理想の教師像を目指したい。

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