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音楽レク【戦前の歌謡曲】

今言われている歌謡曲という言葉は、昭和に入ってからできたもののようです。
大正時代にも、いわゆる歌謡曲はありましたが、それらは「流行歌」と呼ばれていました。

流行歌の第1号は『カチューシャの唄』です。
『カチューシャの唄』は大正3年に、大流行しました。

今回は戦前までの流行歌、歌謡曲について、私なりに纏めたプログラムとなっています。


【流行歌の始まり】

カチューシャの唄

島村抱月・相馬御風作詞 中山晋平作曲 大正3年 松井須磨子

島村抱月と松井須磨子が、立ち上げた芸術座の「復活」公演の劇中歌として作られましたが、公演は大盛況でした。
当時、世界中で注目を集めていたトルストイの思想に傾倒した学生や、新しい大正という時代を肌で感じたかった大衆の心理があったものと思われます。

その後、レコードにもなり、ますます日本中に流行します。

松井須磨子


金色夜叉の歌

宮島郁芳・後藤紫雲 作詞作曲 大正7年

明治末期から戦前まで、ヴァイオリンやアコーディオンを持ち、演歌を歌い、歌本を売っていた、大道芸人を演歌師と言いました。
今の演歌とは違って、もともとは政治を風刺する歌だったようです。
作詞の宮島郁芳と後藤紫雲は演歌師です。

当時大流行していた、尾崎紅葉の小説「金色夜叉」を歌にして人気を博しました。

その後演歌師は、「流し」となりました。


*大正時代の流行歌*

『ゴンドラの唄』『船頭小唄』『籠の鳥』『宵待草』


【歌謡曲の始まり】

昭和初期になり、日本ビクターや日本コロンビアなどの外資系レコード会社が、企画・製作・宣伝をして広めたのが「歌謡曲」です。

コロンビアには作曲家の古賀政男がいました。
藤山一郎と出会い、『酒は涙か溜息か』『丘を越えて』『影を慕いて』などのヒット曲を生み出しました。
その後、テイチクに移籍し、藤山一郎、ディック・ミネ、美ち奴などに曲を提供し、ヒットさせます。


青い背広で

佐藤惣之助作詞 古賀政男作曲 藤山一郎 昭和12年

背広というのはスーツのことです。
青いスーツを着てさっそうと歩く若いサラリーマンが憧れの時代だったのでしょうか。
明るくて軽快な曲です。


誰か故郷を想わざる

西條八十作詞 古賀政男作曲 霧島昇 昭和15年 

高齢者の方々が大好きな1曲です。
高齢者のみならず、花を摘みながら歌を歌って学校から帰る、きっと誰もが経験のあることなのではないでしょうか。


二人は若い

サトウハチロー作詞 古賀政男作曲 昭和10年 ディック・ミネ&星玲子

こんな楽しい曲も古賀作品にはあります。

「あなた」「なんだい」のところは「〇〇さん」と呼びかけ、その人に「なんだい」と歌ってもらうと盛り上がります。
まずはスタッフの男性にお願いし、できそうなら、参加者の男性にもお願いしてみましょう。


ああそれなのに

サトウハチロー作詞 古賀政男作曲 美ち奴 昭和11年 

この曲も楽しい歌ですね。
歌詞の「ねえ」のところは、少しお色気を出して、と注文してみましょう。

古賀政男

*その他古賀政男の主な作品*

戦前 『うちの女房にゃ髭がある』『丘を越えて』『影を慕いて』『サーカスの唄』『酒は涙か溜息か』『人生劇場』『人生の並木道』『東京ラプソディー』『新妻鏡』『白虎隊』『目ン無い千鳥』など

戦後 『悲しい酒』『芸者ワルツ』『青春サイクリング』『無法松の一生』『柔』『湯の町エレジー』『りんどう峠』など


歌謡曲を語るうえで、忘れてならない作曲家がもう一人います。
それは服部良一です。
服部良一は、古賀政男が移籍した後に、コロンビア専属作曲家となりました。
ジャズをもとにした、「和製ブルース」を生み出し、「ブギウギ」を広め、ポップスの先駆けとなりました。


別れのブルース

藤浦洸作詞 服部良一作曲 淡谷のり子 昭和12年

マドロスさんと港の女の悲しい別れの歌は他にもたくさんありますね。

歌の中の主人公になったような感情移入ができるのも歌の素晴らしいところです。


蘇州夜曲

西條八十作詞 服部良一作曲 霧島昇&渡辺はま子 昭和15年

李香蘭主演の映画「支那の夜」の挿入歌です。

歌の中に中国風なポルタメントがたくさん出てきます。
霧島&渡辺の歌と、李香蘭の歌を聴き比べてみるのも楽しいですよ。


湖畔の宿

佐藤惣之助作詞 服部良一作曲 昭和15年 高峰三枝子

高齢者の皆さんが大好きな歌のひとつです。

群馬県の榛名湖には歌碑があります。

古い手紙を燃やす女心について、尋ねてみましょう。


*その他の服部良一の主な作品*

戦前 『一杯のコーヒーから』『雨のブルース』『山寺の和尚さん』 など

戦後 『青い山脈』『銀座カンカン娘』『東京の屋根の下』『東京ブギウギ』 など

服部良一


ここまで、主な戦前の流行歌、流行歌手を取り上げましたが、
もう一人たくさんのヒット曲を歌った歌手がいます。
それは東海林太郎です。
東海林太郎は、ポリドールに所属していました。


赤城の子守歌

佐藤惣之助作詞 竹岡信幸作曲 東海林太郎 昭和9年

写真のようにロイドメガネに燕尾服がトレードマークです。
歌う姿は直立不動でした。

東海林太郎


*そのほかの戦前の歌謡曲*

関種子 『雨に咲く花』
淡谷のり子 『雨のブルース』
霧島昇 『一杯のコーヒーから』『旅の夜風』『新妻鏡』『目ン無い千鳥』美ち奴 『うちの女房にゃ髭がある』
高田浩吉 『大江戸出世小唄』
藤山一郎 『丘を越えて』『影を慕いて』『酒は涙か溜息か』『東京ラプソディ』
小幡実 『貫太郎月夜唄』『湯島の白梅』
藤本二三吉 『祇園小唄』
伊藤久雄 『高原の旅愁』
松平晃 『サーカスの唄』『花言葉の唄』
渡辺はま子 『支那の夜』
榎本健一 『洒落男』
岡晴夫 『上海の花売り娘』
小笠原美都子 『十三夜』
ディック・ミネ 『人生の並木道』『リンゴの木の下で』
灰田勝彦 『新雪』
東海林太郎 『すみだ川』『野崎小唄』『麦と兵隊』『名月赤城山』
佐藤千夜子 『東京行進曲』
小林千代子 『涙の渡り鳥』
高峰三枝子 『南の花嫁さん』
田畑義男 『別れ船』

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