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有岡城&池田城&野崎観音 一人旅行記

5月6日、ゴールデンウイークの最終日の始発の新幹線で大阪へ。
さすがに始発だったので車内は空席もあり、隣には誰も座らなかったので
快適な新幹線移動でした。

今回の旅の目的は、荒木村重の城、有岡城です。
軍師として有名な黒田官兵衛が、幽閉されたあの城です。

有岡城は伊丹駅からすぐのところにあります。

階段を上った先はちょっとした公園になっていました。

ここは有岡城の主郭だったようで、井戸の跡などが残っていました。
ただ、残念ながら狭いですし、石垣も復元で、当時の面影は全くありません。

面白かったのは、上の写真の荒木村重の説明文でした。
どちらかというと、悪名高き(失礼!)荒木村重ですが、
さすがに、説明文ではその辺をやんわりとかわしています。

小高くなっている主郭跡の周りは堀がめぐらされていたのか
空堀らしきものがありました。

右手の小高くなっているのが主郭跡
上の写真の堀の続き

市内にはところどころに遺構があるようですが、
当時を偲ぶことはできません。
城跡が大事にされていないのは、もしかすると荒木村重という武将のせいなのかもしれませんね。

黒田官兵衛が幽閉されていた牢屋のあとがあったりして・・
と密かに期待していましたが、
伊丹市としては、そこのところは触れられたくない傷なのかもしれません。


池田城 やぐらを模した展望休憩所

次に向かったのは池田城です。
以下攻城団より引用
正確な築城年代は不明ですが1334年(建武元年/元弘4年)頃、池田教依によってこの地に城館が築かれたと伝えられています。
代々池田氏の居城となりましたが、応仁の乱では東軍に所属し1469年(文明元年)に西軍・大内政弘の攻撃により落城しています。
池田城はその後もたびたび戦火にさらされ、落城と池田氏による奪還を繰り返しました。
それだけ重要な拠点であったことの証拠でもありますが、1531年(享禄4年)の大物崩れ以降に防御機能のさらなる強化を企図して城の拡充が行われたと考えられています。

1568年(永禄11年)には織田信長が摂津国に侵攻、その際の攻撃により池田城は落城。1570年(元亀元年)には池田氏の内紛で池田二十一人衆のひとり・荒木村重が中心となって城主に成り代わりました。
村重は伊丹親興・和田惟政といった他の摂津三守護を制し、1573年(元亀4年)には信長に臣従する道を選びます。

しかし村重はやがて信長から離反、1578年(天正6年)には信長が村重攻撃のため古池田に陣を張ったことが記録されています。
この古池田が池田城の跡と考えられており、正確な時期は定かではありませんがこの前後には池田城は廃城になっていたと考えられています。

1968年(昭和43年)には大阪教育大学が、1989~1992年(平成元年~4年)には約2,500m2の範囲を対象にそれぞれ発掘調査が実施されました。
2000年(平成12年)には池田城跡公園としてオープン、やぐらを模した展望休憩所などが設けられています。

駅を出て、ロータリーを抜け、まっすぐ商店街を歩いていくと
やがて右手に小高い丘が現れますが、それが池田城跡です。

公園内には模擬櫓、建物の礎石、枯山水、土塁、復元門などがあります

私は階段を上った西門から入りました。
息切れしましたが、城の高さを感じられて良かったです。

礎石
復元された枯山水
復元虎口門
模擬櫓から見た公園
堀の下から見上げる
から堀の中を歩く

池田城での一番の見どころは上の写真の堀でしょうか。
堀の底を歩くと城が迫力を増して見えますね。
当時は堀に水が張られていたかは不明です。


ここでお昼ご飯に。
アーケイドの中のとあるお店で、串カツとビールをいただきました。

串カツとビールのちょい飲みセット
串カツの写真撮るの忘れました!
やきそばも注文


さて、お腹も満たされたので、次はどこへ行こうか・・
そう考えたときに思いついたのが野崎観音でした。
「野崎参りは~ 屋形船で参ろ
どこを向いても菜の花畑 
粋な日傘にゃ ちょうちょもとまる・・・」
これは昭和10年(1935年)に東海林太郎が唄った「野崎小唄」です。
私は仕事柄、懐メロをたくさん知っていますが、
「野崎小唄」は70代以上の高齢者ならだれでも知っている名曲なのです。

野崎観音は大阪府大東市にある慈眼寺というお寺です。
電車を乗り継いで下りた野崎駅で私はびっくり!
なんと!この日は野崎参りの真っ最中だったのです!

野崎参り 大東市HPより
「のざきまいり」はその昔、大阪市内から慈眼寺(通称:野崎観音)まで屋形船を使って気軽にお参りができることから人気を博しました。
参道には130件以上の露店が立ち並び、境内では日替わりでイベントが行われることから、大勢の人で賑わう大東の名物イベントとなっています。
普段は本堂内に安置されている「十一面観音立像」(大東市指定文化財)が、期間中は御簾を上げて直接お参りすることができます。

駅からの参道は屋台がびっしり!
境内入り口
本堂

本堂の中に入ってみると、本尊である十一面観音菩薩が恭しく安置されています。
その本尊の指先から長い紐が何本か伸びていて、その紐がそれぞれ三方に乗っています。
(三方とは、お正月にのしもちを乗せるあの木の台のこと)
お願いごとを書いて、その紐に通し、三方に載せます。
私もお願いごとを書かせていただきました。

お詣りも済んで、境内を散策していたら
「飯盛山城登山口」という看板が目に入りました!
え!あの飯盛山城?
そうなんです。
飯盛山城は三好長慶の居城として有名ですね。

飯盛山城

この看板によると、飯盛山城はいい状態で残されているようです。
ただ、野崎観音から40分もかけて登らなくてはなりません。
今回は断念しましたが、いつか登ってみたいと思いました。


というわけで、今回は摂津の国の城廻りでした。
摂津は奥が深いです。
まだまだいろいろな見どころがたくさんありそう。
飯盛山城をはじめとして、また訪れたい場所です。
21,095歩!
よく歩きました~


一人旅、翌日は関が原へつづきます。

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