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捨てたい、けど捨てられない―機能不全家族で育って

第6回

私が小学2年生になる頃、母は生活のためにパートを始めました。そのため2つ下の弟の幼稚園の送迎は自営業の父。一度父がお客さんと長話になってしまい、弟は幼稚園で父の迎えを一人でずっと待っていたことがありました。まだ母親にそばにいてほしい時期だったのに、弟は寂しい思いをしただろうと思います。
学校や幼稚園から帰宅した後の私たちの居場所は、父が営む写真屋でした。私と弟は毎日のように殴り合いのケンカをしては父に大声で怒鳴られ、通りすがりの人たちの目線を感じる店の外で正座させられていました。パートから帰ってきた母にそのことを言うことができず、私はやるせない気持ちをずっと自分の中で消化していました。もっとも母は私たちのことを気にかけてもくれませんでしたが。
「父を怒らせる者が悪い—。」うちの家ではこれが常識でした。気分次第で家族に当たり散らす父に、誰も逆らうことなどできませんでした。このような父の振る舞いが、私のその後の人生に悪影響を及ぼすこととなっていくのです。(緑:2021.10)


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