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ゆく年くる年

昔は民放全局で大晦日のNHK「紅白歌合戦」終わり、よる11:45から深夜1:00まで「ゆく年くる年」という番組をやっていた。

「日本テレビ」「TBS」「NET(現・テレビ朝日)」「フジテレビ」「テレビ東京」の持ち回りで。

このCMの1985年、「除夜の鐘で『蛍の光』」を演奏するという企画があった。

最初の鐘が滋賀県の三井寺。

我々、よみうりテレビが中継車を出して、4台のカメラで40秒の生放送だ。

プロデューサーは岡島英次さん、ディレクターは喜多村健二さん。
僕は中継車に載って「秒読み」するタイム・キーパーを担当した。日本テレビの「サブ」から三井寺の中継に来る時間をカメラマンとフロア・ディレクターに伝える役割。

夕方、三井寺に着いて、セッティングを始める。カラダがぶるぶる震えるあまりの寒さにプロデューサーの差し入れてくれた日本酒を煽りながら、焚き火にあたって、深夜の生放送までひたすら待ち続ける。

両国国技館で加山雄三が指揮棒を振り上げたら、三井寺のフロア・ディレクターが鐘を撞くお坊さんのお尻を叩く。それが「鐘を撞く棒を引く合図」。

そうすると、お坊さんは鐘を撞く棒を引っ張って、次の瞬間、振り下ろして、鐘が鳴るという段取りだった。

つまり、「鐘を撞く為には、鐘を撞く棒を一旦引く時間」が余計にかかるから。

リハーサルは上手くいった。タイミングはバッチリだ。

よる11:45、民放140局超えの日本列島、北海道から沖縄までの全局が一斉に生放送開始。

時計の針は深夜12時に近づく。

リハーサル通り、加山雄三は指揮棒を振り上げた。

三井寺ではフロア・ディレクターがお坊さんのお尻を叩く。

お坊さんは鐘を撞く棒を振り上げた。

その時、指揮棒を上げた加山雄三が一言喋ったのである。

「あっ‼️」
誰もが心の中でそう叫んだ。
リハーサルと違う‼️

日本テレビから中継の映像が三井寺に来た時、「鐘は撞き終わっていた」‼️

カメラの方を振り返って、慌てふためくお坊さんの顔のアップが全国に生放送で流れている。

フロア・ディレクターの石橋徹也(僕の1年後輩)が画面に大胆に映って懸命にお坊さんにもう一度「鐘を撞く様に」促した。

ようやく、三井寺の鐘はなり、「蛍の光」が奏でられ始めた。

2番目のお寺以降は「VTR」で「編集」してあったのである。

日本テレビで「VTR」が回り始める。

SNSが発達した今の世の中ではあり得ない事かも知れないが「おおらかなテレビの時代」だった。

撤収をすべて終え、元旦の早朝、僕たち中継スタッフはロケバスに揺られて、名神高速を走りながら、一言も発することは無かった。打ちひしがれていたのである。

大阪東天満のよみうりテレビ社屋に帰るのに・・・。

最悪の正月だった。忘れられない元日だった。

遠い遠い昔の話。


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