即身仏
「即身仏」を御存知だろうか❓
僕が「即身仏」と出会ったのは、岡山の母の実家。小学生の頃。
旭川沿いにある、最寄りの津山線・野々口駅から4キロの集落に実家はあった。
スマホも無い時代、「都会っ子」だった僕は「田舎生活の何も無さ」に退屈していた。
そこで、近くの公民館に置いてあった普段は読まない「少年マガジン」を借りて来て読ま始めた。
その雑誌の「グラビア」が「夏の『即身仏』特集」だったのである。
僧侶が生きたまま、お経を唱え続けて、全く飲まず食わずで「自らをミイラ」にする「即身仏」。
その写真の数々は「怖ろしくグロテスクながら」僕の目を強く惹き付けた。
そして、僕は読後、三日三晩、高熱を出して寝込んでしまうのである。
後年、イタリア・ローマに行った時、「カタコンベ」と言われるローマの地下に広大に広がる「地下墓地」を訪れた事がある。
これも、たくさんの「一般の人々」が「生きてミイラになれば、天国に行ける」と信じて、ある種の「即身仏」になったものである。
「即身仏」、小学生の時から「人間の死」「自分自身の死」に関して、強い興味があった僕にとって、忘れられない記憶となっている。
幼い頃から、この「生きているという意識」が止められないという事は必ずいつか、そのゴールである「死に到達するという恐怖」に苛まれていた。
何故、昔の人は「即身仏」になったのだろうか❓
一度、山形に実際の「即身仏」を見に行ってみたい。
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