木下惠介監督のお墓

北鎌倉駅にたどり着いた。「円覚寺」までは駅から徒歩2分。午後の強い太陽の光線が全身に容赦なく照り付ける。暑過ぎて、あっという間に汗だらけだ。

500円の入場料を支払って、墓地の場所を訊く。以前来た事があるので、迷う心配は無かった。

炎天下の中、広大な墓地の中を早速彷徨ってしまった。記憶が曖昧だったのだ。

ようやく、ある一画に「無」と大きく書かれた墓標を見つけた。

小津安二郎監督(1903年12月12日生まれ〜1963年12月12日没・還暦になった日に亡くなるとは小津安二郎監督らしい)のお墓だ。お墓の前にはたくさんの酒類が並び、故人が酒好きだった事が窺われた。そして、何故か墓前に「小銭」が供えられている。

前回ここに来た時、小津安二郎監督の向かい側に相対して、木下惠介監督(1912〜1998年)のお墓があった様に記憶していた。

そして、小津監督のお墓の真後ろに、女優の田中絹代さんのお墓があった筈だ。

しかし、二人のお墓が見つからない。茹る様な暑さの中、墓場の中を行ったり来たり。

最初に「木下家之墓」と書いてある墓標を見つけた。しかし、小津安二郎監督のお墓から遠く離れている。

そこから小津監督のお墓の方向に近づいて行くと、もう1つ「木下家之墓」があった。

墓標の横を見ても、書いてある文字が風化していて読めない。

墓標の後ろに卒塔婆があった。その1つに、戒名の中に「木下惠介」の「惠」の1文字が入っている卒塔婆が。

Googleで「木下惠介 戒名」と入れて、検索する。インターネットの接続が非常に悪い。異常な暑さのせいか?「木下家之墓」という墓標の前に座り込んで、「iPhone」と、カラダの中まで焼け焦げる様な暑さの中、半分意識が朦朧としながら格闘を続ける事、10数分。

「あの・・・」

「入場料」を支払った所にいたおばちゃんだ。

「お墓、見つかりましたか?」

おばちゃんに事情を説明した。そしたら、僕が今座っている前にあるお墓が「木下惠介監督のお墓」で間違い無いとの事。

但し、女優・田中絹代のお墓は別の場所にあって、現在は「非公開」だそうだ。

「公開している時にまた来て下さいね!」と言われた。

暑い中、わざわざ急な坂を登って僕を追いかけてくれたおばちゃんに感謝。最近、こんな暖かい「人と人のふれあい」を体験していないもんで、涙が出そうになった。何か、自分の事だけ考えて生きてる奴がこの頃、何故か大量発生している気がしてならない。

「こないだ、木下惠介監督の映画『二十四の瞳』を久しぶりに観て、凄く感動して、木下監督に会いたいなぁーという気持ちでお墓参りに来たんです。これで、その報告も出来たし、木下惠介監督にも会えました!」

僕の言葉におばちゃんは優しく笑みを浮かべて頷いてくれた。

そこは外国人で溢れかえった「鎌倉」の中で、僕とおばちゃんしかいない素晴らしい空間だった。

気持ちがスッーと晴れた気がした。

北鎌倉駅に集う制服姿の女子高生を見ても、その気持ちは変わらなかった。円覚寺のトイレの横の自販機で買ったミネラルウォーターを駅のホームに立ってガブガブ飲んだ。それにしても暑かった。

外国人は「黒澤明のお墓」や「小津安二郎のお墓」には行きたくても、「木下惠介のお墓」に参る人はほとんど居ないだろう。

写真でも分かる通り、「小津安二郎のお墓」にはお酒類など「お供え物」がたくさんあったが、「木下惠介のお墓」の前には何にも、何一つ無かった。だから、僕が墓前でiPhoneで検索していてもスペースはタップリ有ったのだ。

でも、僕は「木下惠介を日本一の監督」だと思っている。

今、僕は横浜駅で「JR線」から「相鉄線」に乗り換え、都心に向かっている。

先日、開通した「相鉄新横浜線」と「東急新横浜線」を乗り潰したいという気持ちに駆られたから。「乗り鉄」なのだ。

これから、「東急東横線」を通り、渋谷経由で「東京メトロ副都心線」に直通乗り入れ、「新宿三丁目駅」で「都営新宿線」に乗り換え、新線新宿経由で「京王線」で帰宅する。

家に着く頃には暗くなっている事だろうなぁー。

夜は、まずお風呂に入って、汗を流し、DVDか HDDレコーダーで映画を観ようかと思っている。

思ったより、「円覚寺」で時間がかかり、「渋谷での栗原恵、迫田さおりのトークショー」には行けなかった。

今日は「スマホの充電」が一時自動的に止まってしまう程、暑かった。「スマホ」が加熱し過ぎない様にそんな機能が付いているのだろう。「スマホの画面」に出た表示を見てビックリした。

でも、人の温かさに触れた素晴らしい1日だった。

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