EXテレビ「夢」
今、病室で寝ていて、「悪夢」を見た。
大学を卒業して、会社には就職したけれど、何十年も経って再び「大学受験」の直前に戻り、「全く受験に受からないという恐怖で怯えるという夢』。
僕の母親は「超過干渉」だった。いや、僕が64歳になる今でもそうなのである。
それが子供の頃から嫌だった。今夜見た「夢」にも現在85歳になる母親が出て来る。
僕は猛烈に彼女に抵抗し続けるのだ。
「EXテレビosaka 夢」も「他人の夢を具体的に、夢を見た本人に説明してもらったら面白いのではないか❓」というのが企画の原点。
スタジオに「巨大な白いスクリーン」を3枚、三角柱の形に作り、その中に、司会の上岡龍太郎さんと「夢を見たゲスト」に入ってもらう。
そして、「スクリーン」の裏側から、あらかじめゲストに描いてもらった「夢のイラスト」を投写するのである。
3つの夢のイラストを。
それを「ゲスト」が上岡龍太郎さんに、何でそんな夢を見たかを含めて説明する。
確か、「夢を語るゲスト」は1時間番組で3人だった様に記憶する。
1人は漫画家の蛭子能収さんだった。あとの2人は忘れたが。
深夜番組とはいえ、「EXテレビosaka」は、「テレビマン」として、一から番組を作れる素晴らしい番組だった。
入社して、初めて付いた伝説の深夜番組「11PM」。
こちらも「EXテレビosaka」同様、決まっているのは司会の藤本義一さんだけ。ホステスもいたが。
「テーマ」も「ゲスト」も「ロケ」も「セット」も「全くのゼロ」から、担当ディレクターが創り上げていった。
それだけに、「生む苦しみ」は壮絶だった。毎回「テーマ」を見つけるのに、四苦八苦し、時にはノイローゼになりかけた。
そんなことが4週間毎にローテーションで回って来るのである。
「収録日」や「生放送の日」はあらかじめ決まっているから、時間との勝負でもある。
時間切れになりそうになって、プロデューサーに助けてもらった事も数知れない。
そのプロデューサーたちも次々と鬼籍に入って行かれている。
「テレビ」という媒体は「流しっぱなし」が基本である。
「11PM」班に配属されて、勉強の為に過去に放送された「11PM」を見直したいなぁーと思っても、「VTRテープ」が高かったり、「生放送」だったりして、僕が入社した1983年時点でもほとんど残っていなかった。
この事はとても残念だけど、「11PM」や「EXテレビosaka」に携わった一人のスタッフとして、先輩プロデューサー・ディレクターの話を書き残しておく事が必要なのではと強く思っている。
僕は良い時代の「テレビ」を駆け抜けた最後の世代である。
1983年に入社し、2025年に卒業。
「あふれかえる『情報』を整理し続けるテレビ番組作り」「芸人・タレントに頼るテレビ番組作り」。
先輩の「テレビマン」として、見ていてかわいそうだと思ってしまうのは不遜な事だろうか❓
そのディレクター、そのプロデューサーにしか作れない「テレビ番組」を一本でも多く観たいと思う。
こんな長い文章さえかけば、落ち着いて、「悪夢」を見ること無く、眠りに着けるだろう。
おやすみなさい😴
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