大きいおばあちゃんと小さいおばあちゃん

大きいおばあちゃんと小さいおばあちゃん。祖母と曽祖母。二人のおばあちゃんは昭和40年頃、神戸の須磨に住んでいた。

国鉄兵庫駅から山陽電鉄に乗り継いで月見山駅で降り、歩いて10分。そこに二人のアパートはあった。

アパートの玄関を開けると、強いすえた臭いがした。アパートは、便所が共同。風呂は無く、住民は銭湯へ通っていた。アパートの裏手すれすれを山陽電車が走っており、電車が通るとアパートがガタガタと大きく揺れた。

おばあちゃん達は、二階の一室に住んでいて、母が僕と妹を連れて訪れると、大層喜んでくれた。

大きいおばあちゃんは割と神経質。母にとっては姑になる。小さいおばあちゃんは、僕から見たら父方のおじいちゃんのお母さん。彼女は大きいおばあちゃんに見えない様に、結構なお金を母に渡してくれた。僕と妹に欲しいものを買う様にと小声で言いながら、

小さいおばあちゃんは、いつも煙管(きせる)を吸っていた。デパートの包装紙でカラフルに色どりされた煙草盆。「桔梗」という名前の葉タバコを缶ピースの空き缶に入れ、煙管を使って吸う。吸った後は紙よりを使ってお掃除。

おばあちゃんながら、艶やかだった。

御飯時には、うどん屋さんからの出前。僕は必ず、「きつねうどん」にするか、「中華そば」にするかで毎回悩んだ。

出前が届けられると、両方の料理を欲しがっていた僕の事を考え、小さいおばあちゃんは僕の頼まなかった方の料理を頼んでくれていた。

そして、自分が手をつける前に、分けてくれるのだった。
僕は内心、「潔癖症」ゆえ、拒否感を覚えつつ、「きつねうどん」と「中華そば」両方を食べる。

それから何年もの歳月が流れ、僕は結婚前、大きいおばあちゃんと小さいおばあちゃんのアパートを再訪した。

二人の住んでいたアパートは建て替えられて、真新しい建物になっていた。そこには、遊ぶ幼児とそれを見守るお母さんの陽だまりがあった。

二人のおばあちゃんが天国へ行ってどれぐらいの月日が経った事だろう。今でも天国から僕たちの事を見守ってくれているに違いない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?