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不登校~欠席スペクトラム~

 学習指導要領改訂により不登校対応も項目の中に含まれるようになったことから、学校が不登校理解を図ることの嬉しさを感じながらも、どうしても「不登校」というインパクトが強くて、そこに思いが集中してしまっているように感じます。

そこで今回は、「不登校」というキーワードに圧倒されないことについて書いてみたいと思います。

まず、不登校について文科省の定義を見たいと思います。

「何らかの心理的、情緒的、身体的あるいは社会的要因・背景により、登校しないあるいはしたくともできない状況にあるために年間30日以上欠席した者のうち、病気や経済的な理由による者を除いたもの」

 この定義で忘れてはいけない大事なことは、毎日毎日休む子どもや保護者の想いの積み重ねであり、そこまでの過程や背景がある、ということです。

 30日以上の欠席とされていますが、29日目の欠席と30日目の欠席の間に断絶はありません。それは例えば、数年前、5月1日から新しい年号(令和)になったとき、4月30日とさほど変わらない生活だったのと同じことです。

 そんなの当たり前だと思われるかもしれませんが、「不登校」というテーマ設定になると、不思議なくらい30日目(である「不登校」)に焦点が集まってしまうことが多いのです。

 そこで初めて「不登校対応」を考えることになります。(…確かに不登校の対応なので間違いではないのですが。)ただ、唐突にこれまでと異なる対応になるケースは少なくありません。

 例えば、病気等の明らかな理由なく2~3日休んだ子がいたら、保護者や先生方は、その子の様子の変化に気づいていると思います。教育委員会等が作成した資料を見ても、「不登校の前兆」として身体症状を上げています。「朝起きられない」「頭痛など体調不良」「理由もなく突然泣いてしまう」というようなことです。

 それをふまえて「適切な初期対応を」ということが言われるわけですが、その時はまさか不登校になるとはなかなか思えません。

 だから、相談でよく聞くのが「ここを乗り越えたら、大きな成長になります。頑張りどころです。」というような捉え方です。「ご家庭でも励ましてください。」と言われてその通り接してみた、というような体験をされた保護者の方もいると思います。

 子どもは辛いことをできるだけ隠そうとします。それでも、身体症状が現れたり休むということは、そういった負荷に耐えきることが困難になり、SOSを出さざるを得ない状態だと思います。つまり、そうなったということは、初期段階を越えて、すでに十分乗り切ろうと頑張った結果である、ということです。

 「教育機会確保法」における「休養の必要性」の意義はここにあるように思います。休む必要があるのです。どうしても学校では早期対応が求められます。でも、「誰にでもおこりうる」ことなら、そんな対応策が本当に子どものためになるのか、そもそも、「問題行動」ではないのだから、もう少し慎重になっても良いのではないかと思います。

私は、欠席のスペクトラム(濃淡)だと考えています。

 不登校の未然防止もよくいわれますが、それはいかに休ませないようにするのかではなく、いかにうまく休みを確保できるかということではないかと思います。

 そのためには、子どもの周囲にいる人が、日々どのような関係を築いてきたのかがとても大事になります。また、それが出会いという一つの教育であり、そのかかわりやつながりが子どもにとって大切な学びになりうると思うのです。

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