見出し画像

どうして仏教説話に詳しいの?


そう聞かれて、つらつら思い出しました。中学校3年生の時に訪れた奈良・京都修学旅行が仏像との出会いでした。

担任が、仏像がどのように製造されているか調べろと。それを発表したりしました。面白かったですねぇ。詳細は忘れましたけれど (笑)。そこでも、私はやっぱり絵を描いていました。あははは。

その後、曼荼羅に興味をもったり、涅槃の図に興味を持ったり、絵や美術品に興味を持つ中でそうしたお話を仕入れて行きました。今昔物語や宇治拾遺集なんかも読み漁りましたね。マンガだって「百億の昼と千億の夜」なんか読んだり。「陰陽師」も「迦楼羅舞う」とか「孔雀王」とか(単なるミーハーです)。無節操!漫画侮れませんよ~。あの16ページの後ろにある資料の厚さは計り知れません。こうした作品の参考資料を追っかけて読んだりしてました。

まじめな部分があったとしたら、卒論のテーマ、ロレンスの「恋する女たち」を書くにあたり、彼の作品の密教の影響を研究するために、旦那寺の和尚さんに教えを乞いに伺いましたっけ。神聖な存在との融合の中で彼岸と此岸の世界を観るのだと言う観点から、ロレンスの語る我のぶつかり合いから完全な融合に至る時に見えてくる完全無欠の己、というテーマです。

最近洋画で面白い表現を見つけましたよ。

We're meant to be together, but we are stand-alone. 
二人は一緒になる運命(さだめ)ではあるけれど、でも、それぞれ独立した人間なんだ (お互いの立場を尊重しよう)

こうした境地をロレンスは求めていたのです。晩年になり、七転八倒してようやくたどり着いたのが「優しさ」でした。でも、凡夫の気づきや悟りは悲しいかなずっとは続きませんけどね。でも、その一瞬の境地こそが悟りなんじゃないかと思います。

🍀 閑話休題 🍀

仏像と鬼をテーマに絵を描こうとしています。彼らはよく仏様の足下に踏まれているのですが、あれは歓喜の姿なのだそうです。私の解釈ですが、憤りと憎しみを脱ぎ捨てた凡夫なりの悟りの姿なのではと思っています。待乳山聖天宮さんへ奉納が終わりましたら、絵を交えてすこしずつお話を続けていきますね。

よろしければサポートをお願いします。頂いたサポートはクリエイターとしての活動資金に使わせて頂きますm(__)m