短編小説 実妹トリビュート・ライブ

「あの……これ」
「なに、これ」
「ち、チケット。じゃあ」
あいつは、渡すというよりその紙切れを置いてさっさと行ってしまった。え? なに、押し売り?
「へー。君も隅に置けないね」
田中さんが僕のノートを何度かシャーペンで叩いた。
「なにが?」
「それ、今度の文化祭のお誘いってことでしょ。遊びに来てねってことじゃない」
「そりゃそうだったら嬉しい。そうだったらね。実の兄を誘ってどうするの」
「え? 君って妹さんいたの」
「いるよ」
言われてみれば、話したことなかったっけ。
「ふーん。へー。可愛い子だったね」
「考えたこともない」
妹ですよ。
「妹だって女の子だぞ」
「いや知ってるよ」
「行かないの? 行ってあげなよ。はい。私はそのあとでいいからね」
「なにこれ」
「食券。私、ウェイトレスの格好でたこ焼き売るからよろしくどーぞ」
「え? どういうこと?」
「さっき言ったじゃない。そういうこと。じゃね」
にっこり笑うと、田中さんはささっとノートと教科書をまとめて図書室を出て行ってしまった。
え? そういうこと?



田中さんは優しくていい人だ。部活を引退して抜け殻みたいになってた僕の先生役をなぜか買って出てくれた。なぜか。そう思ってたのだがどうもそういうことらしい。
そうか。ふーん。確かに僕も隅に置けない……。いや。問題はそっちじゃない。
田中さんがくれたたこ焼き券の下、もう一枚の紙切れに目をやる。おいおいライブって書いてないかこれ。ライブ? あの文香が? なんの。チケットには可愛らしい女の子の絵が描かれていた。あいつこれ着るのかな。まさかね。



「や」
「や。来てくれたんだ」
「うん。ただ目当て」
「はーいじゃあドリンクは有料ですので」
「じゃあ? じゃあ、田中さん目当て」
「二杯目まで無料だよ!」
「露骨だなぁ。ありがとう」
「一緒に食べようよ」
「サボり?」
「やだなぁ。一人で二杯飲むはの大変だろうから、手伝ってあげるんだよ」
「斬新な商売だなぁ」
田中さんのクラスのたこ焼きは意外と本格的で感心した。田中さんが作ったわけじゃないだろうけど、僕がおいしいと言うと田中さんは嬉しそうだった。
「妹さんとは仲良しなの?」
「いや。しばらくまともに話もしてない。この前、これ渡されたのが、いつぶりに話したっけって感じ」
「どうして?」
どうしてって。
「別に。仲良くする理由もないし」
「そういうもの?」
「どうだろう」
「見に行ってあげなよ」
「どうして田中さんが?」
「うんとね。すごいこと言っていい?」
「はい」
「妹の晴れ舞台に興味がないってダサいって思うから」
「すごいこと言うね」
「好きになった人はそんな人じゃない方がいいじゃない?」
「すごいこと言うね」
「まあね」
田中さんは青のりをつけた歯を見せて笑った。



文化祭の終わりにはキャンプファイヤーがある。「それっぽいから好き」と田中さん。またあとで、そのときにと約束をして、僕は田中さんと別れた。
ライブのある体育館に足を運ぶ。入り口でチケットを渡すと、係の人がちぎった半券を返してくれた。学生主催のわりに芸が細かい。受け取って、幕間の暗闇に包まれる館内に進んだ。
幕が上がるのを待つあいだ、田中さんの言葉に胸のうちで返事をする遊びをした。
別に興味がないわけじゃないよ。むしろ怖いんだ。人前に立ったりとかまるで想像のつかない妹が、ステージに立つ姿を見るのが怖いんだよ。あいつ、どうしてこんなことするんだろう。部活に入るでもなく、大体、部屋に引きこもって過ごしていた。いつもなにをしてるのかも知らない。オタクみたいなあいつが。どうして僕を誘ったりしたんだろう。
「それっぽい」ブザー音が鳴り、ゆっくりと幕が上がる。どこからともなく声と熱気が湧いた。暗くて気が付かなかったけど、けっこう、人いるんだ。ステージはまだ暗い。
『お待たせしましたー!』
真っ暗な空間に似つかわしくない明るい声。と、ステージが明転した。順に6つ落ちてくるスポットライト。階段を駆け上がるように高まっていく歓声。うわ。スカート短い。え? あの中にいるのか? いるかもしれない。右から三番目。センターみたいなもんじゃないか。前髪上げてる。あ、そもそもウィッグかあれ。
『ふみふみでーす!』
右手をぱっと上げ歓声に答える「ふみふみ」。右手に握っている新体操のリボンみたいのが、スポットライトを弾いて光る帯になる。うん。ふみふみだな。呆然としている間に音楽が流れ始めた。リボンと舞って跳ねるふみふみ。すげ。跳んだ、いや飛んだ。
なんだか早すぎて全然なにを言ってるのか分からないぶっとんだ歌。一緒にぶっとぶみたいなダンス。ステージを入り乱れるリボンと心の底から楽しそうな六人の女の子。
『君と 会いたい 君を 知りたい』
怒号みたいな歓声のなか、早口言葉みたいな歌詞から、そこだけ鮮明に耳に残った。『君と 会いたい』そのフレーズと、僕も観客も熱気も、ふみふみの笑顔と歌声も、ぜんぶひとつになったみたいな感覚だけがふわふわと浮かぶ。気がつくと幕は降りていた。あっという間の十数分だった。



興奮冷めやらぬ人波に流されるまま、体育館を出る僕。ふと、ライブのあいだ、夢中になってチケットの半券を握り締めてたことに気がついた。くしゃくしゃになった半券のしわを伸ばすと裏になにか書いてあるのに気がつく。「終わったあと 屋上にいます」。これを書いたのは文香だろうか、それともふみふみだろうか。



屋上に出ると「文香」の背中がびくっと跳ねた。ふみふみが跳ねるのとは違う。怯えたみたいな条件反射。
「屋上って入れるんだな」
「あ……うん。えっと……いつもここで……練習してるから」
「そうなんだ」
「そういうアニメがあって……」
そうなんだ。そういうアニメがね。
文香、部活やってたんだ。知らなかった。
「なあ」
「う、うん」
文香に声をかけようと思ったとき、校庭でキャンプファイヤーの準備が進んでいるのが見えた。あそこのどこかに、もう田中さんはいるのだろうか。
ひとつ咳払いを挟んでから僕は口を開いた。
「なんてほめたらいいか分かんないんだけど。見て良かった。誘ってくれてありがとう」
「…………そ、そっか」
「うん。なんで誘ってくれたんだ?」
「それは……」
スカートの裾を握って、文香はうつむきがちに言った。
「……お兄ちゃんに私のこと、知ってほしかったから……」
「ぷっ」
「?? なんでいま、笑って……」
「いや、ごめん」
なんだかんだ、兄妹なんだ、僕たち。
「さっきの歌に、そういう歌詞があったなと思って」
僕も同じだよとはさすがに、いまはまだ、照れ臭くて言えなかったけど。
「……あ……うん。そっか、そうなんだ……」
文香はさらに、もうほとんど頭を垂れるみたいにうつむきを深くした。体柔らかいな。
「えへ……」
まあ、笑ってるみたいだからいいか。



結局、何となく趣味があわないというか、陰気な妹のことが恥ずかしくて、僕は妹と距離を置いていた。そういうことなんだろう。翌日。約束をすっぽかしたことを謝る僕に田中さんは思ったのとはぜんぜん別の方向から怒ってきた。怒った末にもはや笑っていた。
「ダサいというか呆れる話だねぇ。それ」
「返す言葉もありません」
「というかその話をクラスメートの女子にするのがなおダサいと思うんだけど。それについては?」
「や、田中さんのおかげで色々と気がつけたので。ご報告をと」
「バカじゃないの」
田中さん。ここ図書室なので。声を出して笑うのはまずいですよ。
「あー。おっかし。なんでこんな人、好きになったんだろ」
「えっ。いま田中さん」
「あ、昨日までの話ね。妹さんのことで手一杯の男はごめんですわ」
「なんでお嬢様」
「待っててあげよっか?」
田中さんはとんとんと僕のノートにシャーペンを叩いた。くせなのかな。くせになりそう。
「田中さんっていい人だよね」
「君はだめな男だね」
田中さんがべっと舌を出して笑った。
「そうみたい」
僕は精一杯の笑顔で応える。それから、ノートと教科書をまとめて鞄に放り込んだ。
「あれ? もう帰るの?」
「ううん。今日、練習してるみたいだから。覗いて行こうかと。田中さんも行く?」
「だめな男レベル高いな君。そういうとこだよ。行かない。ばいばい」
「知ってる。じゃ、また明日」
「はいはい」



屋上の扉の向こうから軽快な音楽が聞こえる。僕はまだうろ覚えの歌詞を口ずさみながらその扉に手をかけた。
『君を 連れてく 君と 飛んでく』

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