短編小説 魔造兄妹

男の言葉がうまく聞き取れず、反射的に聞き返してしまった。
「すまない。もう一度言ってくれないか」
聞き返すと同時に己を恥じた。大切な儀式の場で、相手がなんと言ったか聞き漏らすなどあってはならない。
だが、相手の男は相好を崩して応じた。どうやら、彼もまた、いくらか緊張していたらしい。
「ブックマンでも緊張するんだな。ちょっと安心した」
「いや……」
「ブックマン」と呼びはしたが、男の言葉は友にかけるそれだった。恥の上塗りと自覚しながら、ブックマンは、自分はいい友人を持ったものだと思った。しっかりしろ。仕切り直しだ。これは、友を遠い旅に送り出す一世一代の儀式なのだ。たしかに緊張している。だけど、ちゃんと送り出したい。自らの役目を抜きにして、失敗するわけにはいかない。
「すまない。大丈夫だ」
「うん」
「こほん。じゃあ、あらためて」
ブックマンは再度、真っ直ぐに男の瞳を見つめ、定められた台詞を口にした。男もまた真剣な眼差しでそれに答える。
「『ブックマンは、貴方が求める奇跡を一つ見届けます。手を貸し、共に叶えましょう。貴方の願いを口にしてください』」
「妹ください」
やっぱ言ってた。
「やっぱ妹くださいって言ってんじゃん。えっ。やだ」
「なにっ」
ブックマンは顔を覆い、膝から崩れ落ちるのであった。



卒業生に対して魔法学校は修了特典を用意するのが慣例である。

卒業生のほとんどは、修めた能力だけを頼りに、そのまま戦場に駆け出して行く。修了特典は儀礼よりも実利が尊重され、学生たちの過酷な未来にせめてもの贈り物となる。その種類は豊富で、魔力増強の祝辞に始まり、魔具や魔獣といったモノそのものなど、学校や修めた科目によっても豊富な例がある。

一部、この機会に限って禁忌に近い魔法の使用を認めるケースがある。卒業生の素養に大きく左右されるこうした修了特典が見られるのは、一部の高等な学校に限られる。ブックマンは、その魔法の内容を承認し、時に共同で魔法を行使し、その記録を残す、特別な資格である。その魔法を承認するか否かはある程度まで彼の者の判断に委ねられている。

「ブックマンの名のもとに、却下」
「なにぃ。なぜだ。なにがいかん」
「なにがかー。なにもかもかなー」
「なにもかもってお前」
額に手をやる男。そのポーズはこちらが取りたいところと思うブックマン。
「職権乱用じゃあないのか。せめて理由を聞いてくれ」
「いや。生理的に無理」
「私情を持ち込むな。それでもブックマンかお前」
無理言うな。神聖な儀式に私情を持ち込んだのはどっちだ。
「お前さ……これ、正式に、記録が残るんだぞ? お前が妹ください、はーいって、後世までずーっとだぞ?」
「なにか問題が?」
男の目は澄んでいた。



男の名はニコラス・フランクフルトと言って、当代一の実力者といって過言ではない。そんな彼がどうしてこんなことに。そこにはきっと常人には思いも及ばぬ事情があることだろう。
「俺は妹萌えなんだが」
「ああ、うん」
なかった。
「これから俺は戦場に出るわけだ」
「そうだな」
「帰る居場所と守る存在が欲しいんだ。そうでもないとやっていけないだろう」
意外だった。ニコラスほどの男でも、心の支えがほしいということか。
ブックマンは、つい、思ったままを口にしてしまった。
「意外だ。君がそんなふうに思っていたなんて」
「そうか?」
「うん。それこそ……私なんかとは違うと思ってた」
「そりゃ違うさ。学生のうちにブックマンに選ばれるような一流と比べれば俺は三流がいいところだよ」
この男、こういうところがある。素で謙遜するというか、他人と壁を作るというか。
違うよニコラス。ブックマンは心のうちで答えた。ブックマンになると戦場に出る必要がない。君はそんな人でないことは知っているけれど、ブックマンは、才も名も神に返上して学校に残る自分を、みな臆病者呼ばわりしていることを知っていた。そして、ブックマン自身がそんな自分を一番よく知っている。
「それに」
ふと、ニコラスがさみしげな目をしてこぼした言葉を、ブックマンは聞き逃さなかった。
「お前はもう俺に守られる必要がないからな。いまの俺には守るべきものも、目的もないんだ」
そういうことか。
そう言われてしまうと、しょうがない、手を貸すしかないじゃないか。手を貸すはずのブックマンはしばらく立ち上がることができず、ただニコラスが手を置く肩のあたたかさを感じるばかりだった。



「でも妹萌えってのは本当なんだろ」
せめてもの反撃と思ったブックマン。一度解いた儀装を再構築しながら軽口のつもりで言う。
「おお。それはな。まあ楽しみにしてろ。無事にできたら俺の妹の可愛さをさんざん自慢してやるから」
「もうお兄ちゃん気取りなのきついな」
「俺、親いないからさ。兄妹二人で仲良く生きてきたって設定だから、よろしく」
「設定、設定できる設定なんだ……」
「できるだろ。俺とお前なら」
ああ。自信満々なとこ、格好いいな。擁護しきれない話題の内容ってところでぜんぶ台無しだが。
「そうは言っても0からいも……命を創るのは、どうだろう」
「うーん。まあやってみよう」
軽い。そのノリと力でさっさと戦争を終わらせてくれないものだろうか。妹さえいればどのくらいのやる気は出すんだろうか、この男。
「はいはい」
もうどうにでもなれと思うブックマン。友を送り出す最後の儀式。まあ、さみしいより、明るい方がいいに決まっている。
「じゃ、やろう」
「おう」
「元気でな。お兄ちゃん」
「お前もな」
お陰様でさみしい気持ちは微塵もなかった。ブックマンは、再度、定められた台詞を唱じる。ニコラスもまた、真摯な態度で、神に乞うように厳かな表情で、願いを口にした。
「妹ください」



「……ぐぅ」
儀式は成功した。ニコラスは全身を庇う虚脱感を持って確信した。膨大な魔力と存在が持って行かれた感覚があった。己の存在が何かに分け与えられて、生まれた、そんな感覚だ。
少し、目が霞むようだ。ぼんやりとした視界のうちに、石畳に仰向けに倒れ込むブックマンの姿を捉えた。ブックマン。かつてニコルという名を持ち、名を返上して、その地位に就いた女。
「大丈夫か。ニコル」
声に出してようやく違和感に気がついた。
いま、俺が彼女をニコルと呼んだのか?
「……ん」
うっすらと目を開き、焦点の合っていない瞳が揺れ、その姿を確認する前に、彼女はたしかに彼を呼んだ。「お兄ちゃん」と。



ニコラスの天才的な頭脳が一瞬のうちに閃く。そうか。こういう結果が出るのか。
「えっと……儀式は」
「ああ。失敗したみたいだな」
「あ……やっぱり。そっかぁ。やっぱりお兄ちゃんが相手だとだめなんだ。私のこと、覚えているものね」
しゅんと肩を落とすブックマン・ニコル。
なるほど。記憶にも調整が入っているのだな。俺は対象外なのか。願い手は対象外なのかもしれない。そうでないと特典にならないからか。
「お兄ちゃん?」
「いや」
これはどうなんだ。いや。「儀式は成功した」。だがこの業は。俺に背負うことはできるのか。
「いいんだ。儀式はまたやり直せばいいから。一度、ここを出よう」
「うん。ごめんね」
「いいんだ」
背負わねばなるまい。お兄ちゃんになるとはこういうことなのだ。
「ニコル」
「な、なに? だめだよ。その名前で呼んだら。私はブックマンなんだから」
「これからも絶対に俺がお前を守るからな」
「え? 急になに? あ、ありがとう?」
「なんでもない」


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