短編小説 地獄兄妹

「うわっやっとつながった。うわって言っちゃったよ。兄貴久しぶり! 今日そっち行っていい?」

五年ぶりに聞く妹の声は、懐かしいより騒々しいと思ってしまった。
「いやだ。それよりお前さ、なんで俺の連絡先」
「えーっいいじゃん。もうすぐそこまで来ちゃったよアタシ」
「いや、だからなんで俺の住んでるとこ」
「じゃっまたあとで!」
「俺の話聞いて……。あ、切りやがった」
近くに来てるだって? うそだろ。あわてて表に出る。
うわっ。あいつ金髪にしてやがる。でも、五年ぶりでも一目で分かるもんなんだなあ。兄妹ってそういうもんか。
「兄貴? 久しぶり」
「……久しぶり。目、どうしたよ」
妹の流子は目に包帯のようなものを巻いていた。
「いろいろあって。いま、見えない」
「……そうか」
「でも分かる。いまアタシが話しかけてンの。いまアタシの目の前にいるの、兄貴だ。へへ」
「笑ってる場合かよ。その人は」
「ここまで送ってくれたンだ」
白い着物を着た女性が、流子の腕に手を添えたまま軽く頭を下げた。黒地のプリントTシャツにダメージジーンズという、ずいぶんパンクな我が妹と比べてあまりにアンバランスだ。
「あ、どうも……。で、お前なんで会いに来ちゃったんだよ……こんなとこまで」
「いまここに住んでんの? 入っていい? おじゃましまーす」
聞いちゃいねぇ。
「おー。なんもないね。なんも見えないけど」
「そのジョークでウケたことあんの?」
「その人はさっき笑ってくれたけど」
その人? 振り向くとさっきの着物の女も俺の部屋に上がり込んでいた。なんでだ。
「あ、そう」
「座っていい?」
「好きにしてくれ」
「兄貴、怒ってる?」
流子は立ったまま顔を俺の方に向けて言った。
いいって言うと今度は素直にそうしない。ああなんか懐かしいな。流子って、妹ってこんなんだった。いっつも俺の後ろにくっついて、好きにしろよって言ったら首を振るばっかで……。かと思えば俺の手を引いて夢中で引っ張り回してきたりして。
「怒ってるよ。父さんと母さんにはなんて言って来たんだ」
「なんも」
「ほら」
「兄貴だって勝手にいなくなったくせに」
「それはそうだけど」
それはそうだ。でも俺とお前とじゃ事情が違う。
「俺は事故だった。お前、まさか自分の手で」
「うん。兄貴に会いたくてさ。引く?」
「それはまあ、ちょっと引く」
「うわ。傷つく」
「悪い。でも本音。でもちょっと嬉しい」
「ほんと?」
流子が俺の腕を掴んで顔を輝かせた。目、見えないのに、よく分かるなぁ。
「あれ」
「どうした」
「もしかして、兄貴っていまアタシより、背小さい?」
「……悪かったな。だって五年前からそのままだし」
「あーそっか。なるほど。でも悪くないね。これなら今度はアタシが守ってあげれるじゃん」
「死んだあとに守るもなにもあるのか?」
「そうだっ。それそれ」
死んだってフレーズにそんな嬉しそうに反応するなよ。
「兄貴さ、死ぬときどうだった? アタシめっちゃ痛かった!」
軽い。鮮やかな金色の髪が踊る。この五年でこの妹はずいぶん変わったみたいだ。



「おえ」
「おえ」
「……するもんじゃないね、死んだときどんな思いしたかなんて……」
「お前から振って来たくせに……」
「うん。ごめん」
流子はぺろっと舌を出した。顔色は悪くても舌はきれいな赤だなって思った。
「でもアタシさ、兄貴とこの話がしたくて、来たの。兄貴に会いたかったのもそうだけど」
どういうことだ。
「兄貴、死ぬときひとりぼっちだったでしょ。痛かったーとか、怖かったとか。そういう話、だれともできなかったでしょ。そんなの可哀相じゃん」
「ああ、うん。だからって死んでまで来る?」
「や、いっぺん死んでみないとこんな話、真剣にできないンだわ」
そんな真剣な顔して言うことじゃない。
「なんで笑うのさ」
「いや」
俺は笑って、それから泣いてしまった。
「ばかだな、お前」
「ばかは兄貴だよ」
また、ぺろっと舌。
「五年。ちゃんと生きてみた。でもだめだった。兄貴がいない世界は思ったより、ずっといやでした。だからごめん。兄貴が死んだからアタシも死んだの。兄貴がアタシを殺したの」
流子の言葉に、どくんと、胸が鳴る。吸い寄せられるみたいに目元を隠している流心の顔をじっと見た。すると言葉とは裏腹に流子は微笑んでいる。ああ。そうか。本当にばかだなお前。俺に謝らせてくれるのか。
「うん。そうだな。ごめん」
「へへ。いいよ。許してあげる」
「……お前、この五年で大きくなったなぁ」
「まあね。触ってみる?」
「やめろ。ツッコミ不在なんだぞ、この空間」
俺たちのやり取りを眺めている白い女の人が声を出さずに笑っていた。



その女性が流子の袖を引いた。
「そっか。うん」
「どうした」
「そろそろ行かなくちゃ」
「どこに」
せっかく久しぶりに会えたのに、もう。そう思うあたり俺は本当にだめな兄貴だと思う。
「アタシは人を殺したので。地獄におちるンだって。わがまま行ってここに寄り道させてもらったの」
女性がぺこりと頭を下げた。そうなんだ。別に俺に頭を下げることはないと思うけど。
「じゃあね。会えてよかった。兄貴。元気でね」
最後に流子が俺を抱き締める。俺が抱き締めてやりたかったけど五年の差は大きい。完全に俺があやされる側だ。
「ばいばい」
「いやだ」
「だめだよ兄貴」
「せっかく会えたのに。俺、ほんとは、五年ずっとさみしかったんだ。流子とさよならも言えなくて」
「いま言えたじゃん」
「俺はまだ言ってない」
「だめだよ。兄貴は何も悪いことしてないんだから」
「さっき言ったろ。俺がお前を殺したんだ。流子が言った。だから」
着物の女が俺の肩に手を置いた。なんだよ。首振って。
「兄貴。ちゃんとお別れしようよ。させてよ。アタシだっていまぎりぎりなンだ」
「なあ。いいだろ。俺に行かせてくれよ。流子はここに残してやってくれ」
「では」
初めて女が口を開いた。
「二人とも、行きますか? 地獄に」
「え?」
「あ、それいいかも」
「かるい」
流子はぽんと手を叩いた。いいのかそれで。
「アタシ、目見えないしね。助かる。この人、さすがに地獄までは付いてきてくれないみたいだし」
「実利。いやお前、地獄だぞ。いや知らないけどどんなところか。でもたぶんやばいだろ」
「アタシは覚悟あるンだけどさ」
そのとき、見えないはずの流子の目に射抜かれた気がした。
「兄貴はある? アタシと、妹と、地獄におちる覚悟」
「俺は、」
詰まっちゃだめだ。ここで、いま、あるって言えなくて、どうする。どうなる。俺は本当にだめな兄になる。
「あるよ」
「本当に?」
「ああ」
まだ流子は俺を見ている。ずいぶんながいことそうしていた気がする。

ふっと場の空気が緩んだ。
「いえーい。アタシの勝ちー!」
「は?」
着物の女はまたふるふると首を振った。だけど、さっきと違う、少し残念そうで、嬉しそうな、おかしな顔をしていた。
「賭けてたの。兄貴がアタシと地獄に来てくれるかって」
「は?」
「あー。やっぱ信じてよかった! さすが兄貴!」
「いや、お前、死んでまでなにしてんの」
「ほめてよね! これでちょっと軽めの地獄にしてくれるンだってさ!」
「いや軽めでも地獄じゃねーか。結局、兄妹、生きて行くには地獄かよ」
「そうだね。いや?」
「いいよ」
もうこうなったら意地だった。地獄で役に立つのかしらんが。
「望むところだよ。どんとこい。流子。お前もうぜったい俺から離れるなよ」
「兄貴がそれ言う?」
「言う」
「そっか」
流子はぱぁっと顔を輝かせた。うん。まあ地獄でも輝いてみえるだろ。この笑顔なら。

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