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生きづらい私たち〜精神病院で出会った少年の話〜

入院と出会い

寒い冬から、少しずつ暖かい日が増えてきた3月の下旬、私は精神病院に入院することになった。

入院患者の大半が高齢者である中で、いつも元気な、一際目立つ背の高い少年がいた。

「はるくん(仮名)は背が高いけど、こう見えてまだ中学3年生なんですよ。」
私が入院してまだ間もない頃、親切な患者の方にそう紹介された。
その頃はまだ私の状態が悪く、軽く会釈をすることしかできなかった。

少しずつ仲を深める中で知った彼の壮絶な人生

入院中、私は食堂でテレビを観ることが多かった。私がテレビを観ていると、いつの間にか、はるくんも一緒に観ていた。2人で特に会話は交わさなかったが、患者の中でも比較的若い2人がいる食堂には、自然と人が集まってきて、人が多いときには皆でトランプをすることもあった。そうした中で、ゲームを通して少しずつ私とはるくんは話すようになっていった。一緒に高校野球をテレビで応援したこともあった。

そして私が入院してから2週間ほど経ったある日。食堂の大きな窓から満開の桜が見える時期だった。その食堂ではるくんは、中年の患者の方から教わりながら英語の勉強をしていた。高校受験塾でアルバイトをしたこともある私は、お節介な気持ちが働いて2人の様子を覗きに行った。「ああsmiさんってそういえば大学生だよね?勉強教えてあげられるんじゃない?」中年の患者さんが優しく言った。どこの大学か尋ねられたので答えると、2人とも目を丸くしていた。しかしその後はるくんは、寂しそうな顔をして「人生これから明るいですね。」と言った。「うつ病が治らないと、わかんないよ...。」私がそう言うとはるくんは少し笑った。「うつ病?僕と一緒だ。僕はうつ病とPTSD(心的外傷後ストレス障害)。」私を仲間だと思ってくれたのだろうか、彼は自分の身の上を私に話してくれた。

はるくんはつらい家庭環境で過ごし、小学生から中学生の間、児童養護施設や精神病院の入退院を繰り返していた。「オレ、首吊ってまたこの病院に来たんですよ。今はぜんぜん死にたいとか思わないけど。」その言葉は私の胸に突き刺さった。つらい、何にも希望が持てない、明日が来なければ良い、死んでしまいたい...そういった気持ちの中でも、私はどうしても死への恐怖から実行することができなかった。それを、私よりもうんと若いはるくんはやってのけてしまったのだ。はるくんはどれほどしんどい思いをしたのだろうか...それは自分も同じうつ病だからこそ想像力は豊かに働いた。

はるくんは4月から退院して高校に通うことが決まっていた。しかし私がちらりと見た彼の英語のプリントでは、they, their, themを書き分ける問題にバツがついていた。勉強のブランクは相当ありそうで、高校に入ったら苦労するのではないかと正直なところ感じた。

互いの面会の時間

病院での面会は、病室ではなく食堂で行っていた。面会の様子が、他の患者の目にも触れる状態だった。私の母親は、毎日面会に来てくれた。入院初期の不安定な頃は面会中泣き出したり、喚いたりするのを母親は昔のようにそっと抱きしめてくれたのだった。
はるくんは、昼間も食堂でテレビを観たり将棋を患者さんと対戦したりしていたのだが、私の母親が面会に来ると、決まってどこかへ行ってしまった。幸せな親子関係を見るのが耐えられなかったのだろうか。私もそれに気づいていたが、母親に遠慮するようにとは言えず、また自分も母親が来なくなるのは嫌だったため何もできなかった。

また私も、はるくんの面会を目にすることが一度だけあった。面会者は親なのかそうでないのか、わからなかったが、その男性に向かってはるくんはこう話していた。自分はレベルの低い高校にしか進めなかった、勉強はどうしよう、高校行きたくないなと。
そのとき私はお節介にも、はるくんが高校に進んだ後、勉強でつまずき、またしんどい思いをしてしまうのではないかと思った。そうなってほしくないなと思った。

突然の別れ

はるくんはある日、いつものように患者同士、食堂に集まる中でこんな話をした。
「大学には行きたいなと思ってるんです。友だちと飲み会とかしてみたい。」
優しい中年の患者さんが、「サークルとか楽しいよ、大学は。」と楽しそうに話した。生きづらかったはるくんが、大学に進む未来に希望を持ってくれていることが、私は嬉しかった。
そしてその日の夜、はるくんは私に「smiさん、おやすみなさい!」と言った。初めて名前で私を呼んでくれたのだ。
なんだか、やっと仲良くなれた気がするなぁ、私はそう心躍らせていた。

それからたった数日後、はるくんは私に何も言わず退院した。別れは突然で、あっけなかった。

生きづらい私たち

私は生きづらさを抱えて入院した。はるくんも生きづらさを抱えていた。この記事で言いたいことは特になく、若者の生きづらさの実体験から、読者の方に何かを感じてもらえたらと思い書き留めた。
なぜ私たちは生きづらくなってしまったのか、これからどうやって生きていくのか、生きづらい人を減らすにはどうしたらいいのか。私たちがつくる社会を、読者と一緒に考えていきたい。

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