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「支援」の狭間の子どもたち

前回に引き続き、私の知人ご紹介シリーズです💁🏻‍♀️(笑)


今回は、大学時代のゼミを介して知り合ったAくんについて。


埼玉県で生まれ育ち、東京にある大学に進学。


この春卒業し、現在は行政機関で働かれています🌸

そんな彼の生い立ちに触れていきたいと思います。

児童養護施設の子供たち向けにアウトドア体験の提供を行っているNPO法人にてインターンシップをしていたAくん。


なぜそのインターンを始めたのかなどお聞きする中で、彼自身の持つ当事者性のようなものも見えてきました👀

「家に残りたいか、施設に行きたいか」


ご自身のバックグラウンドにおいても、そのご家庭環境ゆえ児童相談所に保護されていた時期がある彼。


これまでのご経験を伺う中で、


「小学生のころから警察が何度も家に来ていて、
家に残りたいか施設に行きたいか尋ねてきた。


けれども家を出たいわけでもなく
かと言って暴力を受け続けたいわけでもないこの葛藤や本心までくみ取ってもらえなかった」

というお言葉が非常に印象的で、示唆に富んだものであると感じました。


介入にあたって、個別性に目を向けるというより、その事例をある種
パターン化された類型に振り分けていくことできわめて業務的に捌いているような現状を垣間見たような気がします。

自分しかいないから、自分でどうにかするしかない。


そうした葛藤の中に取り残され、個人的に解決することを余儀なく強いられたAさんですが、やはり家にいることは好まず、朝早くから夜遅くまで殆どの時間を外で過ごしていた、とのことでした。

「中学時は夜遅くまで遊び歩き、高校進学後は朝5時には起き部活の朝練、
夜はアルバイトか公民館で勉強をしながら22時まで過ごし、
家には寝に帰るだけだった。」

「大学生になってからも部活があったので、
講義がなくても日中は外にいられたし、インターンシップ先では朝8時から夜中0時まで勤務。
家の外で過ごす口実ができた

家にいたくない


親戚もいなくて自分しかいないから自分でどうにかするしかない

自分でどうにかするしかない中で、家にいない時間がAさんを救っていました。

支援につながらない子たちは、すべて「運」に依ってしまう。



Aさんは、

「自分の周りを見ていても、(本音と現実の間で板挟みになる人の多くは)グレるか施設に入ることを選ぶような気がする」

といいます。

その中で、Aさんはなぜそのどちらでもないあり方を選択できたのでしょうか。


「皮肉にも偏差値70の高校には道を外れる子たちがほぼいないので、自分もそうならなかった部分はあるのかもしれない。」


当時お付き合いされていた方の影響で勉学に励み、それにより
“真面目”で“堅実”な学友の中に身を置くようになったAさん。


Aさんの在り方は偶然の積み重ねによって支えられている、
きわめて偶発性の高いもので、それゆえ脆弱性も孕んでいるように考えられます。


開かれた居場所の必要性



そんなAさんに、もしご自身のような子がいた場合、何をしてあげたいか最後にお伺いしました。

「はっきりとはわからないが、やはり支援色のないプログラムの実施ではないか。」

「勉強など楽しくないことはしたくないので、アウトドア活動などのプログラムが居場所となると思う。必然的に家の外にいる時間が増えるし。」

ある意味家の外に「避難」している子供たちの存在を認識したうえで、


彼らにとって健全であり尚且つ開かれた居場所となるようなものを提供すること、


そしてそうした子供たちといろんな大人が繋がることで、


社会で子供たちを見守っていくような仕組みを作ることが急務なのかもしれません🌱




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