【日記#015】無関心でいること
2024-03-09
途切れ途切れではありつつも、noteに思ったことやその日の出来事を書き連ねていると、ふとしたときに昔の自分と再会することがあります。きょうも昨夏に書いた1本の記事が「スキ」されたと通知が飛んできて、それとなく読み返してみたり。
この記事を要約すると、
ってな内容です。
現状は達成できてるとは到底言えない状態なのですが、まぁそれはおいといて、なんだ昔の自分もなかなかいいこと書いてるじゃん、なんて感心したりしています。
ちょっと前の自分は、好意を寄せる人ができれば馬鹿みたいに連絡したり一緒に過ごすことを渇望したりする、いわゆる依存タイプの人間でした。信頼関係すなわち連絡の密度!一緒に過ごす時間の多寡!みたいに思っていたわけですね。
でも、いまの場所に引っ越してから、そういった人間関係はことごとく消え失せました。一人で閉じこもる時間が増え、誰かに連絡をしたり、誰かからの連絡に返事をしたりすることがなくなりました。いまでは、LINEなんて通知を切ってしまって、週に1度開くか開かないかレベルです。
じゃあ、他人への関心がなくなってしまったのかといえば、そういうわけでもないんですよね。大切にしていた人、自分のことを気にかけてくれた人を思う気持ちは変わらず存在している。
でも、こちらから連絡することはない。遠い場所で元気にやっているだろうと思いながら、自分は自分のことを精一杯がんばる。
いつかどこかで「本人に届かない思いを“祈り”と呼ぶ」なんて文言を見かけました。
祈りだなんて大袈裟かもしれないけれど、気持ちとしてはそういう感じです。
これまで関わった人たちが、もし自分を求めてくれるなら、いつだって飛んでいって、その人のためにできる限りをしてあげたいと思う。その一方で、いま自分自身が自分の生活を保つので精一杯であるように、目の前の日常と向き合っている大切な人たちのペースを乱したくないから、連絡はしない。それは表面的には無関心であるかのように見えるけれど、交流の火はずっとくすぶっていて、いつでもまた点すことができる。
人間関係が、そういうふうに変容していってるんだなぁと、思う日々です。それが正しい形なのかは、わからないけれど。
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